10年ぶりに中国旅行してきました
この冬、ひさーしぶりに中国へ行ってまいりました。
あれから10年……、しばらく見ないうちに、中国と私はどれだけ成長できたでしょうか。かつてはあんなにいがみ合い殺し合った我々も、10年という月日が経てばすっかり丸くなり、お互いを認め合い尊敬し合い優しく和気藹々と、国際協調し仲良く振る舞えるような関係になれたのでしょうか?
はい、なれました!!
中国ぶっ殺す!!!
旅行の模様はpodcastさくら通信で連載しますので、こちらをお聞きくださいませ。
この冬、ひさーしぶりに中国へ行ってまいりました。
中国の安宿というのは、他のアジア諸国と比べても、同じ値段だとしたらずいぶん居心地が悪い。何度もしつこく書いているけど、なんといってもトイレシャワーが辛い!!
今回アップした動画は、「襄樊」という町のバスターミナル近くにあった安宿だ。
襄樊には、諸葛孔明が住んでいたといわれる「古隆中」がある。だからこそ他に、三国志遺跡以外のみどころは全く無いとしても宿泊して観光をしなければならない。辛くても、観光をしなければならない。なにしろ、観光は辛いもの。特に長旅になってくると、観光と写真撮影は楽しみではなく単なる義務と化す。別に見たくないけど見なきゃならないのよ古寺を。仏教遺跡を。石組みの遺跡を。世界遺産を。それがバックパッカーの仕事だから。
そんな襄樊で宿泊した宿は、湿気がすごかった。外に洗濯物を干せる場所は無く、あっても盗られたりネチョンと汚されそうだから干したくないし、しかし部屋干しでは部屋の中の湿度が150%以上あるものだから何日☆続けても乾かない。よって、このように持参したドライヤーでひたすら熱風を送り続けることになる。
そうすると暑くなるので窓を開けたいものだが、この部屋は宿の奥地にあるため窓が無い。だからこそ湿気が150%なのだ。それならばせめてドアを開けておきたいものだが、このドアの前には個室の公共汚トイレ兼汚シャワーが並んでいる。だからこそ湿気が150%なのだ。
そんでその個室のトイレに夜中に入ろうとして電気をつけたら、個室のドアが開いていたにもかかわらず中国人のおっさんが大便をしていた。ドアも閉めずに電気も点けずに。オレは謝って逃げた。
そんな汚トイレが目の前にあるのだから、むしろドアを開けていられようはずもない。冗談じゃない。よくもまあセコセコと金を節約するためにこんなおぞましい部屋に泊まっていたものだと思う。信じられない。想像するだけで吐きそう。思い出すだけで吐きそう。ゲロッゲロロロ~~~~~~~~ッッ!!!!!!
吐いちゃいました。誰か~~掃除して~~僕の汚部屋を誰か掃除しに来て~~~奥さんになって~~~~~~~っっ
体験入門でもいいです。「さくら剛の奥さん1日体験」も行っています。常時体験希望者募集中です。どしどしご応募ください。
おかげさまで、発売から4日経ちまして「中国なんて二度と行くかボケ!!……でもまた行きたいかも」が1度目の増刷決定しました。「増刷」というのは、もっと本をたくさん刷る、ということです。売れそうだからもうちょっと部数を作っておこう、と出版社に判断してもらったということですね。
今度の本は、自分でも書いている時から「これが一番好きな本だ」と思っていたので好調でとても嬉しいです。「自分の棺桶に一冊だけ著作を入れるとしたら、これだろう」と本気で思っていました。まあ旅行シーズンですし、夏休みに中国旅行を考えていらっしゃる方も買ってくださっているのでしょう。みなさんありがとうございます。そしてすいません。「中国なんて二度と行くかボケ!!」を読んで、中国旅行を取りやめたという方もきっといるでしょうから責任を感じてしまいます。いや、むしろそれでいいのだと言ってあげたいですけど。やめて正解ですよと。
さて、こんなに超スピードの増刷はめでたいということで、先日成都で鑑賞した川劇の「おめん早変わり動画」、今回はその追加動画をアップしてみました。めでたいつながり、超スピードつながりです。
連続早変わり、さらになにもつけていないところからの「おめん装着」など、まさに目にもとまらぬ早技とはこのことです。これはすごいですよ。少なくともこの点では中国ってすごいなと思います。
ではどうぞ。
旅先で気をつけなければいけないのは、ぼったくりやスリに置き引きに詐欺に盗難、それだけでなくもっと重篤な被害として「強盗」がある。
強盗の場合は、ぼったくりと違い相手と怒鳴りあってなんとかなるものではない。
おまけに強盗はだいたいにして中身が旅行記にも書けないくらい深刻だ。幸いオレは今まで強盗に襲われたことはないが(後述するように警戒ぶりが半端ではないため)、ともかくさくら剛の旅行記はおもしろみじめなところがウリなので、リアルに笑えない強盗事件に遭ったとしてもそれはやはり書けないだろう。記憶に封印するしかない事件だ。被害が大きい上に旅行記にも書けないとしたら、それはおそろしく死にものぐるいで遭遇を避けなければいけない事柄だ。書けないとしたらどんな苦しい目にもあいたくない。おもしろくならない経験は人生でいらない。
これが強盗ではなく、野生動物ならまだ対処のしようはある。みなさんご存知のように過去にはアフリカで野生のヒョウを手なずけたり、インドではベンガルトラから村を守ったりアマゾン川ではピラニアの群れを食い尽くしたりしたオレなので、地球上の生物であれば人間以外ならなんとかする自信はある。動物界最強のムクですらオレには頭が上がらないのだから。
ほらみろこれを!
ところが、これが武器を持った人間だとどうにもならない。
なにしろ人間が一番悪い。ライオンやトラならまだ男らしく素手で挑んでくるため条件は互角だが、人間の悪党はナイフや銃といった卑怯な武器を携帯している。これではいくら南米で忍術を、中国で少林拳を身につけたオレといえども太刀打ちできない。
なのでオレは旅の間たいてい護身道具を携帯している。
メキシコからの中南米では、このようなミニバットを常に持ち歩いていつでも近づく人間を殴れるように警戒していた。
メキシコ・メリダにて
中南米は、タクシー強盗や首締め強盗が多発しているので本当にシャレにならない。
インドでも、旅行記でも書いたが「クリケットのバット」を常時持ち歩いていた。日本でバットなど持ち歩いていたらすぐにつかまるだろうが、その点海外だとわりと自由でありおとがめ無しである。
インドではクリケットが大人気で子供もよく道端でバットを振っているため、クリケットのバットを持っていても不自然ではない。
しかし子供に大人気のクリケットなので、クリケットのバットを持ち歩いていると「なんか重いなあ」と思いきやインド人の子どもがぶら下がっていたりすることがある。頭に来る。はなせコラ。
インド・ジャイプルにて
そして中国でも、やはり護身用の警棒を携帯していた。
なにしろ中国だけにイメージとして強盗も容赦がないような気がする。ちょっとでも抵抗しようものならすぐに青龍刀でズバーンと真っ二つにされそうな気がする。
ちなみに他の国では都市部がもっとも危ないのだが、なぜか中国ではその逆らしく都会よりも田舎の方が凶悪犯の出現率が高いそうだ。ドラクエ風ですね。
しかし、棒術を使えば孫悟空とも対等に渡り合えるほど強すぎるという噂のさくら剛なので、この警棒さえ身につけていれば鬼に金棒以上の底力を見せつけるのだ。
中国・大理にて
ちなみにこの警棒を買ったのは、雲南省の街角にあったこんな売店だ。ドラクエ風の国なのでこんな武器屋が普通に存在するのである。こんぼうにどくがのナイフ、どうのつるぎやはがねのつるぎなどいろいろ取りそろえている。ただしおそらく海賊版だが。
路上の露店でこんなものを売れるというのが中国の自由さ、ないしは危なさをよくあらわしているのではないだろうか。強盗が「あっやべえ、ナイフ家に置いてきちゃった!」と忘れ物に気付いても、簡単にそのへんの露店で購入できるのである。おかげで忘れ物をしても仕事に支障が出ないのだ。
しかし結局のところ、こういう護身用具を持っていても実際に強盗が来たら戦うかといったら、戦う気は全くない。
なにしろヘタに争うのは状況を悪くするだけで、相手を本気にさせて命の危険にまで発展する可能性がある。
だからオレは常々思っているのだが、女性が護身術として合気道や空手、ボクシングなどを学ぶのは、健康のためならまだしも護身のためとしては全く役に立たないと思う。何十年と稽古を積んで師範にでもならない限り、いくら合気道で段を取得しても女性は乱暴な男には勝てない。草食系男子には勝てるとしても草食系男子は強盗なんてしないので、強盗をしようと思うようなそれなりに腕に自信のある男には、合気道5段の女性でも絶対に勝てない。空手の有段者でも勝てない。むしろ相手を逆上させて被害が大きくなるだけなので、個人的には護身のために格闘技を学ぶということは女性にはおすすめしない。「安全な道を歩く」というのがいちばんの護身術である。
だからオレも警棒やバットでいざ強盗と戦おうとは思っていないけど、その前に強盗に「あいつ、なんかバット持ってるから抵抗されたら面倒なことになるかもしれないからやめておくか」と思わせるように、そのために常々バットを持っているのである。実際に「金を出せ」とナイフを突きつけられたら、あっさり全部渡してしまうと思う。
タクシーに乗る時も、特にタクシー強盗多発地帯の中南米では車に入るやいなやオレはバットを振り回して、運転手に対してバット携帯のアピールをしていた。郊外に連れて行って金を盗ろうとしようものならまずは後ろからおもいっきり殴るからなと言わんばかりに。
ともかく中国でも、何も考えずに旅をこなしているように見えて実は警棒なんかを常に持って緊張感のある毎日を過ごしていたということを、なんとなく想像しながら来月発売の「中国なんて二度と行くか!ボケ!」(幻冬舎文庫)を読んで欲しいなあと思っている今のところなのであります。
もう中国の旅から帰って何年か経つわけだが、「旅で撮った写真を見た時」そして「当時聞いていた曲を聞いた時」には、あっという間に旅の途上にいる自分に戻る。
写真は当然としても、中国の旅が特殊だったのは、旅の間毎日毎日中国でヒットしている歌謡曲を聴かされ続けたということだ。一番が長距離バス。だいたい中国を旅していると4日に1度くらいのペースで10時間ほどバスに乗るハメになるのだが、バスに乗っているその10時間、とにかくひたすら中国の歌謡曲VCDを見せられ続ける。功夫映画が上映されることもあるが、功夫映画か歌謡曲かどちらかだ。5時間ずつ半々で功夫と歌謡曲だと思ってもらえばよい。
町の安食堂に行けばテレビで歌謡曲が流れているし、町を普通に歩いていてもなぜかそのへんの店先にあるスピーカーから歌謡曲が流れている。売店や安食堂に併設されている宿に泊まると、部屋の中にいても店頭の音楽が漏れ聞こえてくる。
その国の歌を何曲も、最初から最後までメロディを覚えてしまうくらい聞かされたのはエチオピア以来である。こんな国はエチオピアと中国だけだ。エチオピアも、やはり宿にいる時もどこからか必ずエチオピア演歌が漏れ聞こえてきた。すでにその日は朝5時から8時間もバスの中で延々と同じ曲を聴かされたにも関わらず。
どうして中国とエチオピアはいつもセットなのだろう。ひょっとしたら、長距離バスでご当地歌謡曲をひたすら聞かせる国はきまって宿とトイレ環境が悪くて旅が辛いという隠されたパターンがあるのかもしれない。オレはそれを発見してしまった。大発見をしてしまった。
海賊版しか売っていない海賊版CDショップでVCDを買い、長江を船で下る途中、奉節という町で体調を崩し部屋で寝込んでいる時にその海賊VCDをノートパソコンに入れて何度も見ていた。中身は中国の歌謡曲PVヒットメドレーだ。
今でも、特にその時に流れていた曲を聞いてしまうと、中国を思い出すというより完全に中国の旅人になる。「今自分は中国を旅していて奉節の町で体調を崩して苦しんでいるのだ」という錯覚に襲われる。その映像を見ているだけで。明日はどこの三国志遺跡に行かなければいけないのか、いつ旅を終わらせるのか、彼女とはどうやって連絡を取ればいいか、そんなことをついつい考えてしまいそうになる。全て終わったことなのに。
エチオピアと中国の違うところは、エチオピアのあの頃の曲を聞くと苦しみしか湧いてこないのに対し、中国の曲は苦しみとともにどこかしら懐かしさや悲しさのような気持ちも湧き上がってくる。
好きな曲がすごくたくさんあるのだが、最も好きな曲のひとつがホウ龍さんの「家在東北」だ。
どちらかというと渋い歌かもしれない。若者向けの曲ではないような気がするが、映像込みでとても好きな曲だ。このPVを見て心が打ち震えることがあったら、あなたも中国の旅人だ。
中国の安宿には、いい思い出はない。
いや、中国でなくても外国の安宿にはいい思い出は全くないが、しかし中国の宿というのは世界の宿の中でも、あくまでオレが宿泊したところに関して言えば、中国の宿は過去訪問した国の中でNo.2に苦しみ度が高かった。No.1ではないけど。
アジアを横断してその最後に中国を訪れたのだが、宿の快適度は、同じ料金ならば中国がもっとも低かった。アジアではNo.1に低かった。アフリカを含めるとエチオピアに次いで低かった。さすがにエチオピアに勝てる奴はいないけどな……。あそこは絶対王者だから。絶対宿がおぞましい王者・エチオピア。おぞましい。エチオピアのことは、思い出しただけで体がかゆくなるっ!!! かゆい(涙)!! 汚いっ(泣)! キモいっ(号泣)!!! 吐きそう~~~今にも吐きそうエチオピアのことを思い出すと~~~~そして同時に漏らしそう。
中国の安宿の快適度がどのように低かったかというと、もう言うまでもないと思うがなにしろトイレの環境が悪いことに尽きそれがオレには耐えられない。耐えられないまま5ヶ月を中国で過ごした。5ヶ月も中国で過ごせたんならそれは耐えられたということじゃない? と言われるかもしれないがいいやそうではない。オレは耐えられなかった。あくまで耐えられなかったまま5ヶ月を過ごしたんだよ!!!
いやしかし、トイレ環境が悪いというのもそれはあくまで旅行者の視点なので、現地の人から見たらそれは普通のことかもしれない。単なるトイレ風習の違いといえばそれまでだ。だってそれが中国では普通なのだから。環境が悪いのが中国では普通なのだから。汚いのが普通なのだから。汚いのが普通なのだから、だから中国の宿は汚いのだ。いや、汚いんじゃなくて中国では汚いのが普通なのだから、それは普通なのだ。中国の宿は汚いのが普通なのだ。つまり中国の宿は汚いのだ。いや、汚いんじゃなくて、それが中国では普通なのだから汚いんではなくて普通なのだ。普通の宿なのだ。普通に汚い宿なのだ。汚いのが普通なのだ。だから汚いのだ。でもそれが普通なのだ。
中国のトイレについてはいつも通り本の中でも書いているのでおよそ2週間後に発売されるさくら剛著「中国なんて二度と行くかボケ! でもまた行きたいかも」を読んでいただきたいがしかし本というものを読むのが苦手だ、本を買うなんて金がもったいない、という方は、7月なかばにネットラジオのトリカゴ放送さんにゲスト出演して中国のトイレの話をこれでもかというくらい語るので、ぜひそれを聞いてほしいと思う。多分7月16日の更新分。トリカゴ放送
ちなみに下の動画は、武漢という街のバスターミナルすぐ近くの宿。自分の部屋から電気を消して出て外出してどこかに行こうとするところで撮った動画。どこへ行こうとした時かはもう忘れたけど。黄山へのバスチケットを買いに行ったか、メシを食べに行ったか、亀山公園に遊びに行こうとしたか、そのあたりでしょう。しかし見たくない動画だ。部屋のすぐ隣にトイレがあるという最悪な立地だった。悔しい。
雲南省の古い町、「大理」の道端で二胡を演奏していた少女。
中国に入って10日目くらいだったと思う。1ヶ月、2ヶ月くらいはかかるだろうと思っていた中国の旅だが、まさかこの後4ヶ月以上もカメラを盗まれたり体調を崩したりしながら(普通に考えたらこのオレが体調を崩さないことはあり得ないのだけど)放浪が続くとは、全く考えていなかった呑気な10日目だ。この時はまだベトナムで煩った肺炎が完治しておらず、毎日呼吸器のようなもので朝晩薬を吸引していたなあ……。
この演奏を聴いていた時は、ほほうなるほど、中国なんだからやっぱり路上の演奏も二胡なんだなあ、なかなかうまいなあ、でも中国なんだからこのくらいのレベルの演奏者はたくさんいるんだろうなあ、……程度に思っていたような気がする。
しかし、のちのち改めてこの動画を見てみると、改めて、全く恐ろしいほどに演奏のレベルが高い。Youtubeの動画として小さな画面で見ても驚愕するほど上手い。
当時はそれを目の前で見ていたはずなのに、見ている時にあまりのレベルに驚愕した記憶は無い。それはなぜかと考えてみると、自分の心に余裕が無かったからだと思う。今こうして見ると、動画の中の演奏を聴くことに集中できる。しかし実際に1人で中国に入ってこれから中国をまた1人で旅しなければならなという時には、精神的に落ち着いていられなかったのだと思う。今自分が中国にいるという時点で不安なのだ。巨大な不安が、日常を襲っている。そんな精神状態ではこの二胡少女がどれだけすごい演奏をしていたのか、はっきりと理解できなかったのかもしれない。理解する心の余裕が無かった。
思い出深いことがある。
この路上では商業活動(?)が禁止されているらしく、この動画を撮った時からしばらく後に、巡回中の中国のお巡りさんが彼女に「ここで集金活動をしてはいかん。撤去しなさい」と注意をしたのだ。
すると、はいわかりましたと彼女は募金箱とメッセージボード(音楽の学校に行っていますが学費が払えないので援助してくださいみたいなことが書いてある紙)をまとめ、すぐに退去しようとした。オレは、あらあらと思いながら見ていたものだ。
しかし彼女は退去しようとしながら、退去しようとする姿勢でしばらく固まって動かなくなり、そのまま今にも退去せんばかりの姿勢で、お巡りさんが行ってしまうと、すかさずまた募金箱を広げてその場で演奏を始めたのである。
その度胸にオレは驚いた。この子には、プロになる要素が揃っているではないか。お金は無いのかもしれないが、そのことによりこうして人前で演奏する機会も増えて度胸もつき、ハングリー精神も鍛えられて、こういう子こそがその世界に名を残す有名演奏家になるのではないか。お金が無いとしたら、お金が無い境遇なのにこのレベルまで技術を既に身につけているというのはなおさらすさまじいことだと思う。二胡界のイチローと言えるほどの逸材ではないだろうか。技術と精神的強さを兼ね備えた逸材。それがこの二胡少女。
きっと今大理の町に行っても路上で彼女の演奏を見ることはできないだろう。今頃彼女は、ちゃんとした衣装を着てステージの上で、チケットを買ってくれたお客さんに向けてプロとして二胡の腕前を披露しているのではないか。この動画は貴重な映像になるのではないか。
ちなみにYoutubeでコメントがついていて、中国の方のコメントによりこの曲のタイトルが「江南春色」だということがわかった。ほんとすごいねえ。江戸時代とかのことを考えたら。気軽に中国に行ってデジカメで動画を撮ってきてPCからネットにアップして、それを見た中国の人が動画にコメントをつけるという……。
また次回中国の動画を上げます。
さて、来月7月6日ごろ、さくら剛最新刊の「中国なんて二度と行くかボケ! …でもまた行きたいかも」が発売されます。
内容は中国旅行記です。
ちなみに中身は中国ですが、「三国志男」とは特に関係ありません。ちょっとだけ三国志に関連する話も出て来ますが、全く新しい本になります。「アフリカから中国を目指す旅の中で中国に辿り着いた時の中国旅行記」ですので、時期的には「アフリカなんて二度と行くかボケ!」の後で「アフリカなんて二度と思い出したくないわっ!アホ!!」の後でさらに「インドなんてもう絶対に行くか!なますてっ!」の後になります。
とはいえ、中国旅行記として独立していますのでこの1冊だけでも楽しめるもちろん「アフリカなんて二度と行くかボケ!」等を読んでいたらなお楽しめる、という本になっております。
素人時代(5年以上前)からさくら剛のWEBサイトをご覧いただいている方は、サイトで中国の旅行記も読まれた方がいらっしゃると思いますが、今回はこの時のために隠し球として伏せていた、ブログでも一切公開していない「少林寺体験入門記」が2章約50ページに渡って展開されています。
少林寺の話は、中国全体を通して一番書きたかった話です。しかし、きっといつか本にする時が来る! その時まで自分の中にだけ奥義として秘めておくのだ!! という覚悟により、ここまで公開を抑えていたのです。信じていました。僕は。いつかこうして本の中でその体験を公開できる時が来ることを。そしてその時が遂に来たのです。
本場中国で、総本山少林寺の武術学校を訪れ子供に混ざって修行をした記録。当時はただの素人旅行者だったはずなのに、なんでそんなことをやっていたんだと今の自分から見ても不思議で不気味です。
そんな新刊が、なんとびっくり、いきなり文庫として発売されます。
幻冬舎より発売です。本来単行本の「中国初恋」の続きとして出せばよかったわけですが、残念ながら当時はあまり売れ行きがよくなく出版に至らなかったのですが、文庫になった「アフリカなんて二度と行くかボケ!」が妙に売れ行きがいいということで、その後に同じく文庫として発売することになったわけです。
ということで、これから発売まで、このブログでは当時の中国旅行を振り返る記事をアップしてみようかなと思っています。みなさん7月6日(8日ごろには確実に全国の書店に配送されると思われます)、何卒どうぞよろしくお願いいたします!
最近twitterで、モアイが掘り出されている写真が注目されていますね。掘ってみたら胴体があったとのことで。http://twitpic.com/4yc77z
胴体があったことが注目されているということは、基本的にモアイは顔だけの存在だと思われていたのでしょうか!
モアイはかつてイースター島に住んでいた名士・村の有力者の方々の姿を表した像であり、つまりモデルは人間です。1体1体モデルが違う人間の姿の石像なのです。
ちなみにモアイが顔だけなのはグラデュウスの中の話であり、人間の姿を表しているのだから当然現場のモアイにはすべて体があります。
ただし、イースター島のモアイは島内の勢力争いに巻き込まれ、近年まで基本的に倒されたりぶっ壊されたりした状態で転がっていました。下の写真のように。(写真はクリックで拡大します)
倒れているモアイは、日本の建設会社などの尽力によりいくつかの場所で立ち上がりました。このようにモアイには元々胴体があります。
なかには帽子をかぶっているモアイもいるし、目のついているモアイもいます。
ところでイースター島のモアイ観測地点の中で一カ所だけ特殊なところがあります。それが「ラノララク」と呼ばれる山です。
この山は、別名「モアイ製造所」つまりモアイを作るところでした。よって、今でも作りかけモアイ、完成したけど配置につけられず転がっているモアイがうじゃうじゃいます。
ここにいるモアイは、たしかに埋まっています。
ただし、モアイが埋まっているというよりは、「埋まっている岩を彫ってモアイを作った」というのが正しいです。岩を彫ってモアイは完成したけど、それを運んで立ち上げる機会なく年月が経ったことにより、また埋まってしまい冒頭の写真のようなモアイが埋まる状況が生まれたと思われます。
以下、ラノララクで埋まっているモアイの写真をごらんください。
けったいな形
以下はおまけでイースター島の景色です。
火山の火口にできた湖
放し飼いなのかノラなのかのウマがあちこちに
町では犬が自由奔放です
他の旅行者と一緒に宿で自炊です
朝焼けです
夕焼けです
終わりです。
日曜日に、お台場でのイベント「旅祭」に参加させていただきました!
このイベントは、高橋歩さんのプロデュースにより、楽しいことがいろいろと行われてもりだくさんのイベントです! いろんな有名な人やノリのいい人がやって来ていろいろトークをしたりライブで盛り上がったり、いろんな企画が組まれていてさらにいろいろなお店も出店され、お客さんもいろいろな地域からいろんな人たちが集まるという素敵なイベントです!
それだけいろいろな人が集まるだけに、僕も当日は初めて会う人や久しぶりの人、仕事で付き合いのある人やプライベートの人、そんなこんなでとても充実した一日を過ごすことができました。朝イチで出番だったのでどうせトークが終わればすぐ帰るさと思っていたのですが、意外や意外、会場内をぐるぐる回って食べたり飲んだり、人と話したり座ったりしていたら午後6時までいてしまいました。いろいろとあったもので。
野外イベントに朝から夜までいるなんて僕の人生で初めてのことです。いかに旅祭が楽しいイベントだったかということがわかっていただけるかと思います。おまけに前日までの肌寒さもなんのその、歩さんや参加者の方たちの熱気に寒さは吹き飛ばされたのか、会場にはずっと太陽がギラギラと照りつけ日光を浴びると気持ちが悪くなる僕は朝からずっと体調を崩していました。今でも日光で照り焼きになった肌が痛くてたまりません。特に顔が痛いの顔が!!
ちなみにトークイベントは旅行作家でもありジャーナリストでもある丸山ゴンザレスさんとの対話形式で行い、「若者よ旅に出ろ! ~信じれば夢は必ず叶う~」をテーマに40分話をさせていただきました。
朝一番だというのに、トークの開始時には客席の最前列がほとんど埋まりそうなくらいの、およそ5人ものお客さんがいらして下さいました。始まってすぐに近くのライブステージから大音響で音楽が鳴り響き、我々の声は完全にかき消されました。まけじと絶叫レベルの声を出して話したつもりですが所詮僕のようなひきこもりの声が屋外でプロの歌い手さんがライブを行う中に届くわけはありません。残り30分間を、蚊の鳴くような声で叫ぶ僕。しかし届かない声。もう来年は出たくない。
そしてその後みなさん念願のさくら剛サイン会も行われました。出版ブースで書籍「三国志男」を購入いただいた方にはその場でさくら剛がサインを差し上げるというファンなら卒倒ものの素敵な企画、30分ほどの時間を割いて、2名もの方に本を購入いただきその場でサインを書かせていただきました! 残り29分はただ書籍販売ブースでイスに座っていました! 隣にあった高橋歩さんの本が飛ぶように売れてゆくのをただ僕はじっと見つめていました。
どう考えても旅祭というイベントで3年前に発売された三国志の本が売れるわけがなく、僕はこうなることは完全に予想していましたし、僕以上に、僕にサイン会を命じたサンクチュアリ出版さんはそんなことはよくわかっていたでしょう。それなのにどうしてあえて逆境のサイン会を命じられたのかというのが不思議なことではあります。参加することに意義があるみたいなそんな特別な判断があったのだと思います。このことについては僕は全く不満はありません。
なぜなら、幸いにして、僕が出不精ということもあり今まで僕は自分のトークイベントくらいでしかサイン会的な場を設けたことがありません。そこでは多くの方が並んでくださったりしてすごくありがたかったですが、一度はこういう閑古鳥が鳴く場で自分のポジションというものを見つめる機会が必要だなと常々思っていたのです。そういうことは大事だと思います。自分を知ってくれている人の中に入って有頂天になっていてもかっこ悪いやつで、世間での自分の包み隠さない正確な立場というのを、知った方がいいと思った。そして知ったそして悲しかった。