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家在東北

 もう中国の旅から帰って何年か経つわけだが、「旅で撮った写真を見た時」そして「当時聞いていた曲を聞いた時」には、あっという間に旅の途上にいる自分に戻る。
 
 写真は当然としても、中国の旅が特殊だったのは、旅の間毎日毎日中国でヒットしている歌謡曲を聴かされ続けたということだ。一番が長距離バス。だいたい中国を旅していると4日に1度くらいのペースで10時間ほどバスに乗るハメになるのだが、バスに乗っているその10時間、とにかくひたすら中国の歌謡曲VCDを見せられ続ける。功夫映画が上映されることもあるが、功夫映画か歌謡曲かどちらかだ。5時間ずつ半々で功夫と歌謡曲だと思ってもらえばよい。

 町の安食堂に行けばテレビで歌謡曲が流れているし、町を普通に歩いていてもなぜかそのへんの店先にあるスピーカーから歌謡曲が流れている。売店や安食堂に併設されている宿に泊まると、部屋の中にいても店頭の音楽が漏れ聞こえてくる。
 その国の歌を何曲も、最初から最後までメロディを覚えてしまうくらい聞かされたのはエチオピア以来である。こんな国はエチオピアと中国だけだ。エチオピアも、やはり宿にいる時もどこからか必ずエチオピア演歌が漏れ聞こえてきた。すでにその日は朝5時から8時間もバスの中で延々と同じ曲を聴かされたにも関わらず。
 どうして中国とエチオピアはいつもセットなのだろう。ひょっとしたら、長距離バスでご当地歌謡曲をひたすら聞かせる国はきまって宿とトイレ環境が悪くて旅が辛いという隠されたパターンがあるのかもしれない。オレはそれを発見してしまった。大発見をしてしまった。

 海賊版しか売っていない海賊版CDショップでVCDを買い、長江を船で下る途中、奉節という町で体調を崩し部屋で寝込んでいる時にその海賊VCDをノートパソコンに入れて何度も見ていた。中身は中国の歌謡曲PVヒットメドレーだ。
 今でも、特にその時に流れていた曲を聞いてしまうと、中国を思い出すというより完全に中国の旅人になる。「今自分は中国を旅していて奉節の町で体調を崩して苦しんでいるのだ」という錯覚に襲われる。その映像を見ているだけで。明日はどこの三国志遺跡に行かなければいけないのか、いつ旅を終わらせるのか、彼女とはどうやって連絡を取ればいいか、そんなことをついつい考えてしまいそうになる。全て終わったことなのに。

 エチオピアと中国の違うところは、エチオピアのあの頃の曲を聞くと苦しみしか湧いてこないのに対し、中国の曲は苦しみとともにどこかしら懐かしさや悲しさのような気持ちも湧き上がってくる。

 好きな曲がすごくたくさんあるのだが、最も好きな曲のひとつがホウ龍さんの「家在東北」だ。
 どちらかというと渋い歌かもしれない。若者向けの曲ではないような気がするが、映像込みでとても好きな曲だ。このPVを見て心が打ち震えることがあったら、あなたも中国の旅人だ。

 

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