脳年齢2
生まれて初めてDSをプレイした。やっと引きこもりとして時代に追いついたぞ!! 今まではDSもやったことがない引きこもりだったので、自信を持って「僕は引きこもりです」と名乗れなかったのだ。しかし今は違う。誰にも恥じることない、オレは1人前の引きこもりだ!!
DSの本体には最初から脳年齢を計るソフトのショートバージョンみたいなのが入っていたので、やってみた。
余裕で20歳だ。
ああ、自分の天才ぶりが恐ろしいぜ……。だいたい、子どものころから友達がいないのでやることといえばいつも1人で頭を使うような遊びばかり。大人になってからも飲み仲間すら全然いないのでただ部屋の中で考え事をしている日々。友達の多い一般人とは頭を使う量が違うんだよ!! 天才になってしまうのは当たり前だ!!
しかし世間では、特に人間界ではこの天才ぶりが評価されていないと思う。こんな永遠の二十歳の生き生きとしたプリンプリンした新鮮な脳を持つ人間なのに、どうしてラブレターをこっそり渡すような女子もいなければ、友達になってくれる人すら皆無なのか。脳年齢が20歳ということは、つまり精神年齢がまだほとんど未成年ということなのだろうか? それでこんなに女子に無視され続けているのだろうか? たしかに赤ちゃんみたいな言葉遣いをすることは特に女子相手だと頻繁にあるし、部屋の中ではたいてい全裸だし、子ども扱いというか気持ち悪がられる傾向はすごくある。赤ちゃんのことはかわいがるくせにあいつら。赤ちゃんに似ている人間だって同じようにかわいがるんでないと、筋が通らないと思う。30過ぎの男とはいえ赤ちゃんみたいなのだったら同じように抱きしめたりチューチューしたりしなければ、それはウソの赤ちゃん好きだ。本当の赤ちゃん好きではない、「赤ちゃん好きを演じて自分のイメージアップを狙っているあこぎな女性」だ。
だいたい、南米に行く時だって関係者を集めた「さくら剛を送る会」は企画から呼びかけまで全てオレが自分で行ったんだ。おもしろ三国志さんや赤兎馬さんなどに「今度僕を送る会を行いますので空いている日付を教えてください」と自ら連絡して、日程の調整をして店を決めて予約して、当日も幹事的なことをやりつつ支払いすら割り勘だったのだ。こんな惨めなことがこの21世紀にあってよいのだろうか?
しかも、南米にいる時には「さくらさんが帰って来たらお帰りなさい会をやりましょうね~」と言ってくれる人が何人もいたのに、どうだ、もうそろそろ帰国して4ヶ月になろうというのに、実際に帰って来たオレを見て誰1人として声を発してくれる人はいやしない。みんな雲隠れしてしまったかのようだ。
なので、原稿もひと段落した今、またオレは「さくら剛を迎える会」を自分で企画しようか悩んでいる。人とたまには会いたいけど、しかし「送る会」を自分で全部やったんだから、迎える会まで本人が取り仕切るというのはあまりにも悲しい。でもやらないのはやらないでまた寂しいんだ。結局、どっちにしても情けないことになるんだよ。
正直、脳年齢が若い方がいいか年寄りの方がいいかは難しいところだと思う。老人なみの脳になって自分も適当に仕事をして、人のミスや愚かなところや悲しんでいる気持ちや辛さに気付かないでいられる方がずっと悩みなく楽に生きられるんではないかと思う。通りすがりのそのへんの人の悩みや悲しさですら勝手に自分の頭の中に入ってくるというのはたまったもんじゃないんだ。
天才になればなるほど悩みは深くなるのだなあ……。
これを読んでいる人の中にもやはり友達が全くいないという人がいると思う。それはきっと、天才だからなんだ! あなたがあまりにも天才すぎて周りの人々から敬遠されているんだ。これからは「自分は天才だから友達がいないんだ」と思うようにすれば、かなり惨めさが軽減されるぞ。天才とは孤高なのだから!! イチローとか中田なんか、天才だけど友達はめちゃくちゃ多そうだな。モテモテだし。じゃあオレはやっぱり天才でもないし友達もいないしモテないということか。これでイチローや中田にためしにおもしろ旅行記を書かせてみたらさくら剛の旅行記より断然おもしろかったなんていうことになったら、人としてのオレの存在意義がなくなる。オレができることは全部イチローができるのだから。イチローはオレの存在を兼ねていると言える。これからイチローには、「さくら剛兼イチロー」を名乗ってほしい。1人2役で。オレは0役のまま生きていくから。もう寝る。