パナマ入国の日5
前回の続き
そんな話を、その夜Kくんともう1人のヒゲモジャバックパッカーのAKさんと、3人でチキンを食べながらその話を聞いたのだ。
これらは一人旅で海外を放浪する立場であれば、誰の身に起こってもおかしくないことである。命の危険を感じるほどではなかったというのは幸いであったが、もし彼が入り込んだ山道に川が流れておらず季節が冬で(パナマは1年中暑いけど)道ももっと入り組んでいたら、どうなっていたかわからない。どうなっていたか。腕が痛い~
なにより、ご家族は気が気ではなかったであろう。警察が捜索に動いたということは当然パナマの日本大使館にも連絡が行くわけで、そこから日本の家族の元にもすぐに知らせが入ったわけだ。大使館の人も現地に来ていて、Kくんは脱出直後にハンバーガーをおごってもらったがいきなり重い物を食べたので吐いた。大使館の人のおごりつまり元を正せば我々の血税で購入されたハンバーガーを吐きやがったのだ。なんて贅沢な野郎だ。
ご家族の方、行方が不明になってほんの数日後に無事が確認されたわけだが、まだ当分旅を続けるという息子にどんな気分でいるのだろうか。こんなことがあったのだから一度日本に帰った方が、とも思うが、本人にしてみればちょっと時間がかかったけど山に入って道にも迷わずただ帰ってきたという通常の観光の範囲の行動を取っていただけであるので、それならたしかに帰国するような理由はない。
ちなみにヒゲモジャのAさんはオレより年上のようだがたまに見かける究極の節約バックパッカーであり、とにかく入場料でもバス料金でもなんでもかんでも値切らなければ気が済まないという人、オレが残したチキンの骨や付け合わせまで「もったいない!」と言って食べてしまう奇特な人であった。チキンの骨を食べるんだぞ?? 犬だって鳥の骨は食べられないというのに。※鳥の骨は喉や胃にひっかかってしまうので犬にはあげてはいけません。絶対にダメよ。
さて、気になったのでインターネットで日本のニュースサイトを検索してみたところ、いくつかのサイトに「邦人旅行者、パナマで一時行方不明」という記事が掲載されていた。Kくんの場合は発見までが早かったため、一時行方不明という表現になっているのだ。
いやあ、なんか大げさだなあ。
邦人って! Kくんだよただの? ただの無職の若者Kくんだよ? 邦人って!! なんか偉そうじゃないか!!
しかし思えばKくんも邦人なら、今やオレだって邦人、ヒゲモジャさんだって邦人なのである。いやいや、邦人じゃねーし!! そんなたいそうな身分じゃないって!! そんな出張中の一流商社マンみたいな呼び方は恐れ多いって!!!
Kくんはさらっと山に入ってさらっと帰ってきた(毒ヘビは食ったけど)だけなのに、それが「邦人旅行者、行方不明」である。我々3人の中で、大きな疑問が生まれた。それは、「いったいどこからが行方不明なのか」という点である。
そもそもKくんにしてみれば自分は全く行方不明になったつもりではないのだ。命の危険はおろか、道に迷った自覚すらないのだから。行って帰って来ただけなのだから。なのに、記事では立派に行方不明扱いをされている。
ということは、行方不明かどうかというのは本人の意志にかかわらず、周りの人間がどう思うかというところが大事なところなのか?? 周りの人間や友人知人がそいつが今どこにいるか把握していなかったら、その時点で行方不明なのではないか? しかし外国で山に観光に行っただけで行方不明となるなら、バックパッカーは基本的に毎日行方不明である。オレだって出かける時に宿の人間に行き先を告げることなんてないのだから、外出中にオレ以外がオレの居場所を知っているという状態には常にならないのだ。ということは、オレは日本からすれば毎日宿を出た瞬間から邦人行方不明者になっているのである。
旅先のアバンチュールに身を委ね帰りが遅くなってしまうこともあるし、過去にはKくんと同じように出先で宿泊してしまい宿には次の日まで帰れなかったなんてこともあった。超邦人行方不明者ではないか。
それはそうと、Kくんとはその後の行き先がだいたい同じであり、いずれ南米でまた会うだろうと思っていたが全然会わなかったため写真の掲載許可などを取っていない。だから前回の写真やKくんという名称は本人を特定できない段階で留めておいているのであーる。
この一連の顛末を書いてしまうとごく近くの知っている人ならばあああいつのことかと本人が特定できてしまうが、その夜(3人でメシ食った夜)スーパーで買ったチキンやパンやハムは全てオレが金を出したものであり、Kくんは自分の分を「後で払いますね」と言ったきりすっかり忘れていたのかわざとなのか見事に踏み倒したためその代わりといってはなんだがブログでこれくらい書くことはさせてもらってもいいだろうと思っているのだ。おいしいチキンをごちそうしたのだから。次の日「この人昨日の夕食代のこと覚えてるのかなあ」と思ってもオレはわざと催促はしなかったのだ。彼の無事の帰還祝いということで最初から驕りのつもりだったから。でも「僕の分払いますね」「いいよいいよ、ここはオレに奢らせてよ」というやり取りはしたかった……。これじゃあ全然奢った気がしないだろうが。奢った気にさせないなら、割り勘にしろよ。
パナマシティは町の構造がわかり辛く、非常に旅行者に優しくない町だと思った。毎日道に迷ったぞオレは。特に夜これだと思ったバスに乗ったら全く見知らぬ地域に行ってしまってとりあえず降りて今自分がどこにいるのかもわからないという状況はもう思い出すだけでも身震いするような心細さだった。しかしパナマはまだ中米の終わり、これから本番である南米の旅が始まるのであった……
終わり
パナマシティでへんなバスに乗り迷子になり超不安な夕暮れ時に撮った