パナマ入国の日
これは、コスタリカとパナマの国境にかかっている橋だ。
普通コスタリカの首都サンホセからパナマの首都パナマシティまでは、旅行者は20時間ほどかけて夜行バスで直接移動する。
ところが、何を隠そうオレは夜行バスが死ぬほど嫌いである。パクチーも嫌いだが、夜行バスに乗るくらいならまだパクチーレストランでパクチー定食を食べる方がいい。こういう感じのことは前にも何回か書いたような気がするが……。まだ、エチオピアのトイレで用を足す方がいい。1度で済むのなら。夜行バスに乗るくらいならあのエチオピアのトイレに入ってやる。たくあんも食ってやる。
コスタリカやパナマあたりの地図をなんらかの方法で探して見てほしい。サンホセからパナマシティまでは太平洋側の道を左から右へ一直線なのだが、サンホセで情報収集をしたところ、そのルートで途中下車することは無理、直通の国際バス以外、途中の町までのバスというのは無いというのだ。
スペイン語で現地の人間が探せばいろいろな方法があるかもしれないが、オレの幼稚園スペイン語でなんとか見つけたのは、北を迂回するルートであった。太平洋岸の国境を通るには夜行バスで行かなければならないので、遠回りになっても北側のカリブ海方面の国境、シクサオーラというところまでバスで行き、国境を越えてパナマに入ったら南下してダビという街までなんとか1日で辿り着き、そして翌日パナマシティを目指す。
そんな計画を立てて、結局当日は朝5時過ぎにサンホセの宿を出て、バスを2回乗り換えて夜の8時頃にダビのターミナルに到着した。早朝と夕方以降は中米は強盗パラダイスになるので、出発から到着まで全く気が抜けなかったがそうまでしても夜行バスだけには乗りたくないのだ。余計な金がかかっても、日数がかかっても、トータルで乗車時間がえらい増えたとしても、夜はベッドの上で横になって寝たい。それがオレの心からの願いである。
前置きはこのくらいにしておいて、パナマに入国して最初にバスを乗り換える時のことだ。オレはその田舎のなんだかわからない古ぼけたターミナルで、ダビ行きのバスを探そうと必死であった。
そこには一応小さなチケットブースのようなところがあったので、中にいるおじさんにオレは「ダビにすぐ行きたいんですがバスは来ますか!」と話しかけた。
するとおじさんは、「おまえはどこから来たんだ?」と問う。ハポネースだと答えると、今度はパスポートを見せろと言う。パナマではバスのチケットを買う時にいちいちパスポートの確認をするのだろうか? こんな田舎なのに! 面倒くさく思いながらパスポートを渡すと、おじさんはどこからか地元の新聞を引っ張り出してきた。その新聞には、パナマで発行されているスペイン語の新聞だというのに、大きく日本人の顔写真が載っているではないか。逆側からだったのでよくわからなかったが見出しに「Japones」と書かれているのだけはわかった。若い日本人の顔写真が、なんらかの記事とともに掲載されているのだ。「日本人が……」という見出しがついて。
その時オレは、「日本人がパナマで何か重大な犯罪を(人殺しとか)犯して逃げているのだろうか? この写真の日本人が犯人なのだろうか?」とふと思った。
おじさんはオレの名前と記事の中にあるその顔写真の主の日本人の名前を照らし合わせて、別人だということがわかるとパスポートをオレに返した。
しかし、この写真。正直なところ、上下さかさまに見ていたのだがオレはその新聞を目にした瞬間、「あれっ、なんでオレがパナマの新聞に載っているんだ!? オレなんかやったっけ!!」と思ってしまったほど、オレに似ている写真であった。だから、このおじさんもパスポートで確認したのであろう。
その後無事にダビ行きのバスに乗ることができたのだが、その前にオレはおじさんに頼んで新聞をもう一度見てもらい、記事をデジカメに収めた。あえて小さくしているが、これがその写真だ。
改めてしっかり見てみるとそんなには自分に似ていない気もするが、ダビの宿に着いてからオレはこの記事が気になってよく読んでみた。
Desapareceという見出しの単語から、ピンと来る人もいるだろう。これは、指名手配ではなく日本人の行方不明者のことを書いた記事であった。
辞書を片手に読み進めてみると、なんでもほんの数日前に、このダビからほど近いとある町で、一人旅の日本人旅行者が山に入ったまま帰って来ないそうなのだ。20代前半のバックパッカーである。
その町というのは地球の歩き方にも載っておりパナマではそれなりの観光地なのだが、そもそもパナマという国に来る観光客は少ないし、その数少ない旅行者もほぼ全員がサンホセとパナマシティの間は夜行バスで一気に移動してしまう。その途中区間の町に立ち寄る人間はほとんどいないと思われる。
彼は、その町から1人で山にトレッキングに出かけ、そのまま行方不明になってしまったのだ。
サンホセ-パナマシティを一気に進むことを選ばなかったという、自分と同じ選択をした人間しかも一人旅の日本人旅行者が、オレのいる場所からさほど遠くない町で行方不明になっている。今まさにこの瞬間彼はどこで何をして、何を思っているのだろうか。山の中で1人命の危険を感じ、怯えているのだろうか。そもそも、命はあるのか。今彼は、生きているのか。それとも、そうでないのか……。
そう考えた時、オレはダビの安宿でとてつもない恐怖に襲われた。これは他人事ではない。その旅行者は決して特別な行動をしたわけではなく、ガイドブックを見て少しだけマイナーな町を訪ね、そして観光に出かけただけだ。それはオレも全く同じ行動をしているわけだし、むしろガイドブックに載っていない町を訪ねることもオレは頻繁にある。
明日は我が身とはこのことである。一方ではこの宿でオレがベッドで眠ろうとしている今もその人は山の中で死の恐怖と戦っているかもしれず、いや、もう人為的なものか事故なのかによらず日本からも家族からも遠く離れた場所で命を失っているかもしれない……それを考えるとまるで彼の感情が伝わって来るようでどうしようもなく辛い気持ちになったが、自分にできることが無い以上あとはこの記事を自分への戒めとしなければならない。とにかく自分は生きて帰らなければならないと。
オレは人2倍は臆病な性格なので治安という点についてはやはり人2倍は気をつけているつもりである。しかしやはり予期せぬことが起こってしまうのが旅というもので、特に事故についてはどうしようもない。ただ自分が無事で帰るために自分の力のおよぶ範囲では、精一杯気をつけなければならない。それが、旅人としての責任なのだ。
中米で最後の訪問地となるパナマの国境を越えた夜に、オレはあらためてそのことを深く感じたのである。
続く
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