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パナマ入国の日3

前回の続き

 彼は、「ボケテの町の近郊にある山の向こうの村」へ観光に行こうとして、道を見失ってしまったらしい。
 通常、「地球の歩き方・中米」にも記載されているその村までは、日帰りで余裕で訪れることができる距離である。彼も当然その日のうちに帰るつもりで、食料は昼食用のパンだけを持って行きそしてそのパンはしっかり昼食として食べたのだ。つまり、山に入って初日の昼の時点で、彼の全ての食料は無くなってしまったのである。

 その山道は元々はそれなりに整えられて看板もついていたようなのだが、なにしろ旅行者はコスタリカからパナマシティまでダイレクトで移動してしまう人間がほとんどで、中間であるこんなへんぴな場所にはなかなか来ない。よっていつの間にか山道に設置されていた看板は朽ち果て倒れ、正しい道を示すサインはなにも無くなってしまったのだ。
 彼はその日山に入り、ただ真っ直ぐ山道を進んでいただけなのだが、それがいつからか正しい道ではなくなり、見当違いな方向に歩いてしまっていた(自分はそうと気付かずに)らしいのだ。
 同じような迷い方を、オレもマレーシアのジャングルで経験したことがある。ジャングル奥の小屋に一人で寝泊まりしそこから村まで帰ろうとする時に、「これが道のはずだ!」と信じて突き進んでいたら徐々に道幅が狭くなりそのうち道が完全に途絶え藪だけになり、「ああ、オレが歩いていた道だと思っていたものは道ではなかったんだ……」と気付いた時のあの恐怖感。「オレ、ジャングルで迷子かも」と思った時の背筋を走る寒気。今思い返してもゾッとする。

 しかしKくんの場合にラッキーでなおかつアンラッキーだったことは、「道を間違えていたのにまだちゃんと道があった」ということだ。つまり正解の道ではないところを歩き続けていたのだが、道が途切れたわけではなく獣道のようなラインがずっと川沿いに走っており、そこをひたすら彼は進んだのだ。
 もしその獣道がなければ間違いに気付いてすぐに引き返すことができただろうが、しかし獣道が無かったとして仮にその何もないところで迷ってしまったらそれはもう命取りになる。一方、獣道があったことによって「道に迷ったのだけど真っ直ぐ進んで来ただけなので帰る方向はわかっている」という状況であったわけで後々帰ることが容易になったのだが、しかし下手に道があったために間違えているのに気付かずずんずん進んでしまったのである。

 本来日帰りの距離のため昼には山の向こうの村に到着するはずなのだが、いっこうに村の気配がないまましかしKくんは「あれ、こんなに遠いなんて聞いてねえなあ」と思いながら夜まで歩き続けてしまったそうだ。
 食べるものもなくただの山の中なので、その日は木の下でそのまま野宿したという。この時に彼はまったく焦っていなかったというからすごい。野宿がイヤだなあとも思わなかったそうなのだ。さすが、これが根っからの旅人の姿だ。オレとは違う。
 ちなみに、もしオレが同じ「山の中の道を歩いているけどまったく村が見つかる気がしない」という状況に陥ったとしたら、オレの場合は「ここまで歩いてきた道をそのまま真っ直ぐ引き返してぎりぎり日没までに出発点に戻ることができる時間」までは前進し、それでも村が見つからなかったら、潔く引き返すことを選択するであろう。野宿などできるわけがないという潔癖症体質と暗い道は怖いという臆病さからの判断であるが、安全面を考えればこれが正解でしょう!! 不安なくベッドの上で寝たいじゃん!!

 そして、2日目。Kくんは、また引き続き同じ道を村を目指して歩いた。この期に及んでまだ村の観光をしようとしていたのだ。なんという執念深い観光客だ。
 幸いなのはその獣道沿いに浅い川が流れており、おかげで方向を混乱させなかったということ、そして飲み水があったということ。彼は歩き続け……、その1日も水以外はまったくなにも腹に入れないまま、そして村に着かないまま、夜になってまた野宿をしたというのだ!!
 これで2日である。しかし、さすがにこの時点で彼も、遂に「これは道を誤ったな」と自覚した(遅い)。木の下で2回目の野宿をしながら、「明日はボケテの町へ引き返そう」とようやく決意したのである。

 一方その頃。
 彼と同じ宿に宿泊していた白人旅行者が、日帰りのトレッキングに出かけたはずのKくんが、昨日から帰って来ていないということに気付いた。
 これは大変だ!!
 すぐに宿を通して警察に通報され、その時点で行方不明者としてKくんの捜索が始まったのである。同時に新聞社にも通報が入り、彼が宿に置いて行ったパスポートから顔写真を引用して記事が作成された。パナマ全土で発行されたその新聞が北の国境近くでも配布され、おかげでオレがその顔写真と似ていたためにバスターミナルで身元を確認されたのである。

 一方その頃。
 3日目の朝。まだ日も昇らぬ早朝に、彼はようやく反対方向へと引き返し始めた。道に迷ったといっても、正しい道を見失っただけであり、川沿いに一直線に歩くだけで町へ戻れることはわかっている。
 問題はただ、Kくんの体力と食料であった。山の中でまる2日歩き続けている状態での絶食である。そして3日目の彼は、「人は食べないで運動し続けるとどうなるか」ということを身を以て知ることとなったのだ! 続く

パナマ入国の日2

前回の続き

 前回のブログ記事で行方不明者の顔写真にボカシをかけたのだが、見出しの地名のところをボカスのを忘れてしまった。個人の特定につながるような固有名詞はなるべく載せない方がいいのだが……
 しかしもう見えてしまっているものは仕方ないので、どうせなら日本語で表記してしまうと「ボケテ」という町での事故である。「Boquete」、そこで日本人旅行者が行方不明になってしまったのだ。もしかしたら、地名がボケテだけに、山に入った彼にはどこからか「ボケてボケて!」という天の声が聞こえ、その意志に従って「『日帰りでトレッキングに行って来ます!』と余裕こいて宣言しておいていきなり行方不明になる」という命がけのボケを演じているのかもしれない。……少し不謹慎か。
 とにかくこんなパナマの山の中、遙か遠い異国で命を失ってしまった若い日本人旅行者がいるということを旅人の仲間としてオレは忘れるわけにはいかない。自分と似ているその旅行者のことを。今この一瞬、彼の最も近くにいる日本人はきっとオレなのだろうから。

Unga

 パナマ運河のミラフローレス門

 パナマの首都・パナマシティにはパナマ運河くらいしか見所はないが、しかしメキシコから南下する旅行者が最後に到達する中米のゴール地点であり、中米の中で非常に重要度の高い都市だ。パナマと国境を接している南米のコロンビアには治安上の問題で陸路で抜けることができないため、旅行者はパナマシティに数日間滞在し、旅行代理店や航空会社を回ってコロンビアもしくは他大陸の都市への航空券を購入する。
 オレもパナマ入国の2日後、ダビからパナマシティに移動した翌日からコロンビア行きの航空券探しに奔走し、フライトまでの数日間はパナマ運河やパナマ運河鉄道を観光し宿の子犬と遊ぶという忙しい日々であった。
 さて、その入国の2日後、パナマシティ到着の翌朝であるが、オレが起床して宿のロビーに下りて行くと久しぶりに東洋人のバックパッカーの姿を見かけた。どうやら夜行バスで今朝到着したらしい。他の宿泊者は白人ばかりなので東洋の顔を見るととても心強い。しかも、こういうメジャーではない旅行先で東洋人がいるとなると、8割くらいの確率でそれは日本人だ。残りの2割は韓国人。中国人はいないわけではないけど、中国人を見て「あれ、この人はどこの人なんだろうな」と悩むことは無い。中国人だったら一瞬にして「あ、中国人だ」とわかるのだ。
 オレは日本人もしくは韓国人だと思われる東洋の旅行者の姿を見かけたら、必ず「こんにちは~」と呼びかけるようにしている。そこでこんにちはが返ってくれば日本人だし、全く反応がなければ韓国人ということだ。反応が無くはないがうなずくだけとか声の出ない反応が返って来た場合は、そいつは挨拶の意味も知らない海外に出してはいけない恥さらしな日本人である。
 そしてこの朝ロビーにいた到着したばかりの旅行者からは、「こんにちは~」とちゃんと日本語で挨拶が来た。そうなったら、日本語を喋れる機会はとても貴重なので、すぐに話し込んで情報交換だ。

 通常夜行バスでパナマシティに着く場合は99%コスタリカのサンホセからの国際バスに乗っていたということになるのだが、話を聞いてみると彼はオレと同じダビから夜行に乗ったということである。朝乗れば午後着くバスがあるのに、宿代の節約のためにあえて夜行バスを自らの意志で選ぶというのはドMの変人旅行者である。そんな奴と関わり合いになりたくない。オレに「夜行好き」という性癖をうつされたらたまったものじゃない。それは身を滅ぼす病だ。
 しかし普通はバックパッカーが訪れるパナマの都市はパナマシティだけだ。他の地方はただの背景というか、ブルーバックみたいなものなんだから。オレは、「ダビなんかでなにやってたんですか??」と彼に尋ねた。すると彼はこう言う。

「いや~、僕、ボケテっていうところで山に入ったら遭難しちゃったんですよ。それで帰ってからダビ経由でパナマシティに……」

 あんたかよっっ!!!!!!!!

 あなたが最近噂の!!! あの彼ですかっ!!!

「マジですかっ!!! もしかして、お名前はKさんですか?」

「えっ、なんで知ってるんですか!!」

「新聞見ましたよ(泣)!!! よく生きてましたね!! よかった! 本当によかった(涙)!!!」

 オレは生還を祝って思わずKくんと握手を交わし、そしてその夜、夕食を食べながらその一部始終について詳しく聞いたのである。
続く

パナマ入国の日

Kokkyo

 これは、コスタリカとパナマの国境にかかっている橋だ。
 普通コスタリカの首都サンホセからパナマの首都パナマシティまでは、旅行者は20時間ほどかけて夜行バスで直接移動する。
 ところが、何を隠そうオレは夜行バスが死ぬほど嫌いである。パクチーも嫌いだが、夜行バスに乗るくらいならまだパクチーレストランでパクチー定食を食べる方がいい。こういう感じのことは前にも何回か書いたような気がするが……。まだ、エチオピアのトイレで用を足す方がいい。1度で済むのなら。夜行バスに乗るくらいならあのエチオピアのトイレに入ってやる。たくあんも食ってやる。
 コスタリカやパナマあたりの地図をなんらかの方法で探して見てほしい。サンホセからパナマシティまでは太平洋側の道を左から右へ一直線なのだが、サンホセで情報収集をしたところ、そのルートで途中下車することは無理、直通の国際バス以外、途中の町までのバスというのは無いというのだ。
 スペイン語で現地の人間が探せばいろいろな方法があるかもしれないが、オレの幼稚園スペイン語でなんとか見つけたのは、北を迂回するルートであった。太平洋岸の国境を通るには夜行バスで行かなければならないので、遠回りになっても北側のカリブ海方面の国境、シクサオーラというところまでバスで行き、国境を越えてパナマに入ったら南下してダビという街までなんとか1日で辿り着き、そして翌日パナマシティを目指す。
 そんな計画を立てて、結局当日は朝5時過ぎにサンホセの宿を出て、バスを2回乗り換えて夜の8時頃にダビのターミナルに到着した。早朝と夕方以降は中米は強盗パラダイスになるので、出発から到着まで全く気が抜けなかったがそうまでしても夜行バスだけには乗りたくないのだ。余計な金がかかっても、日数がかかっても、トータルで乗車時間がえらい増えたとしても、夜はベッドの上で横になって寝たい。それがオレの心からの願いである。

 前置きはこのくらいにしておいて、パナマに入国して最初にバスを乗り換える時のことだ。オレはその田舎のなんだかわからない古ぼけたターミナルで、ダビ行きのバスを探そうと必死であった。
 そこには一応小さなチケットブースのようなところがあったので、中にいるおじさんにオレは「ダビにすぐ行きたいんですがバスは来ますか!」と話しかけた。
 するとおじさんは、「おまえはどこから来たんだ?」と問う。ハポネースだと答えると、今度はパスポートを見せろと言う。パナマではバスのチケットを買う時にいちいちパスポートの確認をするのだろうか? こんな田舎なのに! 面倒くさく思いながらパスポートを渡すと、おじさんはどこからか地元の新聞を引っ張り出してきた。その新聞には、パナマで発行されているスペイン語の新聞だというのに、大きく日本人の顔写真が載っているではないか。逆側からだったのでよくわからなかったが見出しに「Japones」と書かれているのだけはわかった。若い日本人の顔写真が、なんらかの記事とともに掲載されているのだ。「日本人が……」という見出しがついて。
 その時オレは、「日本人がパナマで何か重大な犯罪を(人殺しとか)犯して逃げているのだろうか? この写真の日本人が犯人なのだろうか?」とふと思った。
 おじさんはオレの名前と記事の中にあるその顔写真の主の日本人の名前を照らし合わせて、別人だということがわかるとパスポートをオレに返した。
 しかし、この写真。正直なところ、上下さかさまに見ていたのだがオレはその新聞を目にした瞬間、「あれっ、なんでオレがパナマの新聞に載っているんだ!? オレなんかやったっけ!!」と思ってしまったほど、オレに似ている写真であった。だから、このおじさんもパスポートで確認したのであろう。

 その後無事にダビ行きのバスに乗ることができたのだが、その前にオレはおじさんに頼んで新聞をもう一度見てもらい、記事をデジカメに収めた。あえて小さくしているが、これがその写真だ。

Kano

 改めてしっかり見てみるとそんなには自分に似ていない気もするが、ダビの宿に着いてからオレはこの記事が気になってよく読んでみた。
 Desapareceという見出しの単語から、ピンと来る人もいるだろう。これは、指名手配ではなく日本人の行方不明者のことを書いた記事であった。
 辞書を片手に読み進めてみると、なんでもほんの数日前に、このダビからほど近いとある町で、一人旅の日本人旅行者が山に入ったまま帰って来ないそうなのだ。20代前半のバックパッカーである。
 その町というのは地球の歩き方にも載っておりパナマではそれなりの観光地なのだが、そもそもパナマという国に来る観光客は少ないし、その数少ない旅行者もほぼ全員がサンホセとパナマシティの間は夜行バスで一気に移動してしまう。その途中区間の町に立ち寄る人間はほとんどいないと思われる。
 彼は、その町から1人で山にトレッキングに出かけ、そのまま行方不明になってしまったのだ。
 サンホセ-パナマシティを一気に進むことを選ばなかったという、自分と同じ選択をした人間しかも一人旅の日本人旅行者が、オレのいる場所からさほど遠くない町で行方不明になっている。今まさにこの瞬間彼はどこで何をして、何を思っているのだろうか。山の中で1人命の危険を感じ、怯えているのだろうか。そもそも、命はあるのか。今彼は、生きているのか。それとも、そうでないのか……。
 そう考えた時、オレはダビの安宿でとてつもない恐怖に襲われた。これは他人事ではない。その旅行者は決して特別な行動をしたわけではなく、ガイドブックを見て少しだけマイナーな町を訪ね、そして観光に出かけただけだ。それはオレも全く同じ行動をしているわけだし、むしろガイドブックに載っていない町を訪ねることもオレは頻繁にある。
 明日は我が身とはこのことである。一方ではこの宿でオレがベッドで眠ろうとしている今もその人は山の中で死の恐怖と戦っているかもしれず、いや、もう人為的なものか事故なのかによらず日本からも家族からも遠く離れた場所で命を失っているかもしれない……それを考えるとまるで彼の感情が伝わって来るようでどうしようもなく辛い気持ちになったが、自分にできることが無い以上あとはこの記事を自分への戒めとしなければならない。とにかく自分は生きて帰らなければならないと。
 オレは人2倍は臆病な性格なので治安という点についてはやはり人2倍は気をつけているつもりである。しかしやはり予期せぬことが起こってしまうのが旅というもので、特に事故についてはどうしようもない。ただ自分が無事で帰るために自分の力のおよぶ範囲では、精一杯気をつけなければならない。それが、旅人としての責任なのだ。
 中米で最後の訪問地となるパナマの国境を越えた夜に、オレはあらためてそのことを深く感じたのである。

 続く

yasai

 野菜についていろいろ教えていただいてありがとうございました。お礼も兼ねましてここで野菜の秘密を発表しみなさんと野菜情報を共有したいと思います。野菜だけに、ほうれんそうが大事! なんちゃって(号泣)!!!

 なぜ人は野菜を食べなければいけないのか。その理由はこんなものらしいです。

・ビタミンが入っているから
・肌がキレイになるから
・血が出てもすぐ止まるようになるから
・肉ばかり食べてると癌になりやすいから
・噛まないと歯の力が衰えるから
・おいしいから
・肉ばかりだと性格が荒くなる
・お母さんが言ってるから
・ときどき消化されずにそのまま出て来るので、毎日トイレに行く時にワクワクする

 これらの理由により、人は野菜を食べなきゃいけないのです。

 いやーでも、ビタミンはちゃんととってるしい……。
 ビタミンは錠剤のマルチビタミンを毎日飲んでるので、ABCDE全部100%以上足りてるんですよ。その上BとEはまた単独で別に飲むし、わかさ生活のブルーベリーアイも飲んでいます。ということは、ビタミンのために野菜が必要という理由は僕には成り立たないのです。足りているから。ビタミンBとかEなんて2000%とかとってるんですよ。1日の必要量の20倍。あのグレイシー道場に殴り込みをかけて返り討ちになりボコボコにされた安生洋二でさえミスター200%、たった2倍しか無いというのに。
 同じ理由により肌のキレイさは保てると思うので……そもそも僕は生まれつき美肌体質なので、肌が荒れる気がしないのです。黒木瞳なみなんですよ。南米4ヶ月で自分としてはどう考えても5倍比くらいで真っ黒くなったはずなのに、帰国後に髪を切りに行ったら(かわいいルックスでメンズのハートをわしづかみの人)「もっと肌とか黒くなって帰って来るのかなと思ってましたけど、全然かわってませんねー」と言われてしまうほど元々が常識外れに白いのです。
 歯の力は、野菜とカラムーチョはあんまり堅さが違わないような気がするんですけどね。結構堅いですよあれも。ときどきスティックが縦になって、噛んだ瞬間歯茎に突き刺さって地獄を見ますし。歯茎を突き破るほど堅いんです。
 おいしいから、お母さんが言うから、そのまま出て来て楽しいからというのは、誰が納得するんだそんな理由でっ。でもたしかにお母さんは言います。野菜を食べなさいと。不思議です。どうしてお母さんという人たちはみんな「野菜を食べなさい」と言うのでしょうか。独身時代は言わなくても、お母さんという存在になったら野菜を食べなさいと絶対に言うのはなぜでしょう。それがある種のお母さん免許みたいなもんなんでしょうか。そもそもお母さんたちは、ここで出て来たような野菜を食べなきゃダメな理由というのをちゃんとわかった上で野菜を食べなさいと言ってるんですかね。お母さんというのは全国野菜協会からなんか便宜的なものをもらってるんじゃないですかもしかして??
 性格が荒くなるのは別に仕事上しょうがないというかむしろ穏やかになる方が将来のためにまずいような気がするし……。
 あとは血が出るのと癌になるのはたしかにいやだなあ。でも30年後くらいに癌になるんだったら、30年間好き放題食べるという喜びの方が大切な気もするのだけど……。早死にも仕方ないと思えるかどうか、そこがポイントですね。
 というように、ダメな人間というのは結局自分の意志が基本でして、気が向かないものに対してはそれがダメな理由というのをいくらでも作り出してしまうんですよ。これがないからダメ、あれがないからダメ、こうだからダメ。そういう考えはダメ。よーしもう一度考え直すぞ。

 さて、逆に「野菜なんて食べなくてもいい」という意見も以下のようにありました。

・男らしく生きるなら食べないのが一番
・カラムーチョと牛丼だけ食べていれば、カラムーチョと牛丼だけで生きていける体質になる
・自分は野菜しか食べていないが何も良いことがない

 ということです。
 現状で何も良いことがないというのは実に説得力があります。そんなことを聞かされたらやる気が無くなりますね。でも、もしかしたら良いことがないように見えるけど野菜を食べなくなったらもっとずっと悪いことが起こるのでは……。野菜をやめた瞬間いきなりパソコンが壊れるとか。

 それでは最後に、野菜をどうやったら食べられるようになるかです。

・ビタミンが逃げないように蒸して食べる
・鍋にすればなんでも食べられる
・みそとマヨネーズを混ぜてつけて食べる
・せんべいにして食べる
・青汁
・その他いろいろ独自の調理法
・農業を助けようという気持ちになる
・トマトをかじる
・サッポロポテトベジタブルを食べる

なるほど。基本的に、野菜を食べるのは面倒くさいってことですよね。だってジャンクフードなんか買って袋を開けるだけ、もしくは家から出てちょっと歩くだけですぐに牛丼屋だなんだで食べられるわけじゃないですか。
 それが野菜となるとなんでこうも面倒くさいのか。すき屋みたいな全国に店舗を展開する、野菜のチェーン店があってもいいじゃないですか! それが無いから若者が野菜を食べないんです。これはこっちの責任というよりむしろチェーン店側の責任ですね。向こうサイドなわけです。
 せんべいとか個人開発のオリジナルな調理法は内容は読ませていただきましたが、面倒くさいんですよ……。開発者は開発者としての誇りがあるから作れるのでしょうけど、僕は調理までしてやるほど野菜に愛情が無いんですよ。たいして食べたくないものを食べるのに、なんで肉やお菓子より面倒くさいことをして食べなければいけないのか。野菜に対してなんか頭にきます。時間が無い中なんとか食べる気になってやってるのに、なんだよっって。何様ですか? 野菜は? ただの草のくせしやがって。
 鍋ってのは、友達がいることを前提とした企画なのでなかなか現実味がありません。そういう鍋とか無いし。家に友達を呼んでメシを食うということを生活上想定していないのでそういう器具はうちには無いんですよ。1人で鍋なんかやったら泣くしかないでしょう? これ以上みじめな思いはしたくないです。現状で満足です孤独には。もううちには孤独が溢れています。これ以上入り切りません。
 サッポロポテトベジタブルを食べるというのは非常にいい方法だと思います。これは抜群ですね。スナック菓子感覚で食べられるじゃないですか。でもサッポロポテトベジタブルというのは、野菜を食べたことになるんですかね?? お菓子なのに。これで野菜になるんだったら食べますけど。本当に野菜なのこれ? 札幌が関係あるのかな? あとはトマトもなんとか。かじるくらいなら簡単なので。さすがトマト。
 さらばじゃ。

動画で振り返るマチュピチュ

Machu 

 

 一昨日、爆笑問題が司会の「平成の大事件!」ふうのタイトルの番組で、今年の1月にマチュピチュに取り残された旅行者が出演しており、当時の状況の再現VTRなどが流れていた。なんと豪雨により橋が崩壊、洪水が来るというデマで町はパニックに! 食料もない、水もない、取り残された人々の運命は! そして遂にヘリで脱出! てな内容であった。
 はっきり言って、他の事件が全て漂流とか大地震とか射殺とか爆発とか命に関わる絶体絶命のVTRだっただけに、命の危険が全くないけどなんかちょっと帰れなくなったというマチュピチュの観光客の話は、地味だった。
 しかし、それはあくまで「平成の大事件!」ふうのタイトルの番組の中だから持ってしまった感想だ。「平成の(以下略)」ふうのタイトルの番組の中ではなかったら、これはたしかに事件である。オレが、おとといどんな気持ちでこのマチュピチュ再現VTRを見たことか……。
 テレビに出演していたご夫婦の旅人は「いやー食料もなくなりいつ帰れるかもわからずに不安で仕方ありませんでした」などと嘆いていたが、それを見ながらオレは「なに贅沢言ってんだよ!! 取り残されれた(されることができた)上にテレビにまで出やがって! じゃあオレと変わってくれよっ!! あんたがオレの代わりに帰ればよかったんだよっ!!!」と叫んでいた。
 あと1日だけオレがマチュピチュ行きを遅らせていれば……。帰りをもう1日ずらしていれば……。などと未練がましくまだ言っているよ!
 このVTRの内容をもしオレが経験していたなら、次の本はマチュピチュの話だけで1冊書いたことだろう。
 オレなんか「食料が無い」という1つのことだけで「なあにぃ~~~食べ物が無いだって~~~~~~そんなバカなうおおおおおおお腹減った~~~おなかすいたよおおお~~~おお~~~死ぬ、死ぬうう~~~~(号泣) ただでさえこんなに痩せている上に旅に出てもう3キロさらに減っている今のこの状況でこんなに食べ物が無かったらもうやせ細って道端でオレを見た人なんて『あっ、ガイコツが歩いてる!』と驚いてうおおっなんでなんにも食べてないのに下痢にっ! どういうことだ! 下痢になりようがないはずなのにどのような仕組みでオレは今下痢になっているのか! トイレはどこだ! うわー公衆便所がすごいことになっている(号泣)! ああでもおなかすいた~~食べ物はないのですか~~おじさん助けて~~そうですかダメですか~~じゃあどうにもならないのでそのへんのノラ犬をかじってどうのこうの……」と、めーちゃーくーちゃー広げるからな話を。
 でも、実際にいざ電車が動かないいつ帰れるかわからない泊まるとこと食べるものないってオレがなってたら、不安で泣き続けて神を恨んだだろうな。

 さて下の動画は、マチュピチュのふもとの村からマチュピチュ遺跡へ徒歩で向かう途中の、橋を渡る時に撮ったものである。
 と思ったけど、アップしたら真っ暗になって何も見えなくなった。朝4時半にペンライトだけで歩いていたので……。音だけどうぞ。
 実際はこの翌日にどっかの橋が崩落して村が孤立することになるくらい大雨で増水していた川なのだが、そんなことはつゆ知らずこの時点では現場では全然雨が降っていなかったため、「いやあマチュピチュ地方の川っていうのはなんだか水が多いんだなあ。すげー怖いけど、でも雨が降ってなくてこれならいつものことなんだろう。これが普通なんだろう。じゃあなるべく気にせず渡ろうっと」と思いがんばってその上の橋を渡っていたのだ。いやー、危なかった。

 しかし川が増水していなかったとしても、これは泣くほど怖かった。なにしろ真っ暗である。ご覧のとおり街頭など無いし、ペンライトひとつで川を越えてこれから山の中である。しかもペルーの山奥である。朝の4時半である。もちろん、友達などおらず1人である。なんでそんな時間に歩いて遺跡を目指しているのか。マチュピチュとは、そういうところなのである。バスで行く人が多いと思うけど、歩く人も結構いる。そのあたりの状況は、他の人のマチュピチュ旅行記などを読んでご確認ください。

 特別サービスおまけマチュピチュ動画

野菜

 お願いします。
 実は今カラムーチョばっかり食べていて……。カラムーチョを食べてレモネードサイダーを飲みつつ、たまに牛丼とかカレーを食べに行っています。
 そこでちょっと「野菜もしっかり食べなさいよ!」と言われてしまったのですが、野菜って、食べると何かいいことがあるんですか? また、逆にカラムーチョと牛丼ばっかり食べていると何かよくないことが起こってしまったりしますか??
 もうそれなりの歳といえば歳なので、野菜を食べないと何か良くないことが起こるのだとしたら、野菜を食べるというか、野菜ジュースでも買って飲もうかなと思っています。野菜を食べるというのは、野菜ジュースを飲むことで代わりになりますよね??
 野菜に詳しい方がいらっしゃいましたら、そのあたりをぜひご教授いただけるとありがたいです。いい大人がそのくらい知ってろよという感じだと思うんですが。あと、野菜ジュースじゃない方法で野菜を簡単に野菜嫌いな人が摂るにはどんな方法がおすすめとかもしあったら、おうかがいしたいのです。すみませんがよろしくお願いしますっっ。あ、このブログは悪口を書かれたくないためにコメント欄がないので、もし気が向かれましたらmixiの方でコメントいただければありがたく思います。でも悪口は書かないでほしいです……

fea

 いつもお世話になっております。
 と言っているあいだにいつの間にか4月になっている。先月は1ヶ月ずっと例のフェアの件でブログを賑やかしていたわけだが、正確に結果は聞いていないけどまず間違いなく結果がわかった。
 というのも、フェアにエントリーしている他の本が、フェア開催書店さまのランキングコーナーに登場していたのである。その本は文庫コーナーでベスト10入りの某順位になっており、エントリーしているその他の本はランキングには1冊も登場していないためどう考えてもその「ベスト10以内本」がフェアの中ではトップ売り上げなのである。
 しかし、ちょっと言いたい。最後まで全部具体的に言うとまずいかもしれないので最後になるべく近い途中まで言いたい。
 このフェアにエントリーしている本は全部で14冊なのだが、その14冊のタイトルはオレは全て把握している。そこで、3月はじめに、一般的にはこの中ではいったいどの本が売れているのだろうかということを、amazonでリサーチしてみた。
 amazonではどの本にも「現在の順位」がついていて、売られている全ての本の中でその本の売り上げが何位なのかというのが毎日わかるようになっている。amazonは当然のことながら今や誰もが知っているサイトでありユーザーも天文学的に多いだろう、よって、ここの順位というのはほぼ世間の書店さまの店頭売り上げの順位と同じ数字であると思われる。1店舗だけピックアップしてみれば独自の順位になっているかもしれないが、店舗数が多ければ、「○○書店チェーン全店の売り上げランキング」みたいな規模の大きいランキングとamazonの順位なら、照らし合わせて大きく違うということはまずあり得ない。これは注目している本や自分の本のランキングを見ているとよくわかる。経験上そうだし、統計的にもそうのはずだ。
 3月はじめにリサーチしてからちょくちょくランキングはチェックしており、エントリーの14冊の中で一番売れている本はいつもamazon順位が500位前後であった。これはもともと売れ続けているビジネス本だ。次点で1000位くらいのもの。1000位といっても、無量大数の本の中で1000位というのはめちゃんこ売れている方である。なので、まあ仮に自分の本がそこそこ戦ってくれるとすれば強敵になるのはこの2冊かなと思っていたのだ。
 ところが、今回フェア開催書店さま全店を対象にしたランキングで10位以内ひとケタという驚異の神の記録を叩き出している本は、amazonの順位が60万位くらいなのだ。60万位という数字は、なかなか出せるものではない。逆の方向で不可能なのだ。あまり深くは言わないけど。
 つまりどういうことかというのは、賢明なみなさまでしたら予想はつくことでしょう。
 単純に考えて、これは売れてるかなわない強敵だ~と思っていた500位の本と、その60万位の本を比べると、1200倍の売り上げの差があるということになる。60万÷500だ。これはamazonでの順位を元にした計算だが、市場でもほぼ同じだと思う。ところが、このフェア開催中期間のフェア開催書店さまチェーンに限っては、その1200倍の差をひっくり返して、全く予想だにしなかったその本がいきなりベスト10に登場しているのである。まあ正確には書店さまのランキングは「文庫」というジャンルに限定されているので対象の本の数が多少は違うのだけど……。
 まあしかしオレは思った。大きい出版社の力というのはとてもおそ

 いや~しかし、まさに超有名作家さんが入り乱れている無数の文庫の中でベスト10なんて、半端な数の売れではないだろう。チェーン全体なので、ウン百を越えるそれはそれはすごい数字だと思う。1人が買い続けると書店さんにばれるから、おそらく何人も使いや~ん
 実はオレもちょっとだけ「10万円くらい出して自分の本を買いまくっても、それで1位になって元が取れるんならやってみるのも悪くないかも……」と思ったことがある。でも、やらないでよかった。
 かといってオレもブログで必要以上にしつこく宣伝をしていたわけなので、何もアピールをしなかった他の著者さまに対して完璧にフェアな勝負を挑んだかというと微妙だったりもするのだが……。ただ、それはともかく今の気持ちは、先月このブログを見てわざわざ本を買いに行ってくださった方にとても申し訳なくて。別に1位になったら本を買ってくださった人に何か賞品が出るというわけじゃないけど、協力をしてもらったのにダメだったというのは本当に情けない気持ちでいっぱいだ。
 今まで「○○に参加中なのでクリックしてください」とお願いしたことはかなりあるが、今回はクリックではなく貴重なお金と時間を使わせてしまってのことなので、ありがたい反面申し訳ないというか何というか。すみません。こんな場合、「これからもおもしろい原稿を書くことでお返しが出来ればと思っています!」などと丸く収めるパターンはよくあると思うが、それも違うと思う。それでは特定の協力してくれた人に対するお礼には全然なっていないじゃないか。
 あれこれ言っても言い訳がましいししょうがないので、ただしかし言いたいのは、ご協力してくださったみなさま、本当にありがとうございました。みなさまが健康で幸せな生活を送れるよう心から願っております。堅苦しく書くと冗談ぽく見えてしまうかもしれませんが、本当に正直に感謝しています。ありがとうございます!!! うわーん(涙)
 
 
 最後にこんなこと書くのもなんですが、このブログはやや書かない方がいいことを書いているような気がするので、すぐに下の方に追いやられたりいきなり内容が削られたりあるいは記事が消えるかもしれませんがどうぞそうなったらこの記事の前半部分のことは忘れてください。そうなった時も、お礼の気持ちだけは消えませんしそのまま受け取っていただけるとありがたいです。ではでは……。

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