どうぶつ
このブログがいつのまにか「どうぶつ日記」に変わって久しいが、どうしてどうぶつになってしまったか? というのは、なぜなら、どうぶつ好きだからである。ペット写真を貼りたかったからである。かわいい女の子も好きだが、「おんなのこ日記」はさすがにやばい気がしたのでどうぶつの方で。
それはさておき、そもそもブログあるいはmixiの日記というのは今や日本人の2人に1.5人は書いているのではないかと思うほど広まっているが、あんな人やこんな人の書く日記を読んでいて、みんな人のブログを読むよりも書く方が好きなんじゃないだろうか? と思う時がある。
見ていて一番切ない気持ちになるのが、一見今日あった出来事をつらつらと書いているのだけど、その中にいかに自分が仕事が出来て感受性が優れていてこんなに友達が多くて、子供とも一緒になって無邪気に遊べるのよ、ヨーロッパのサッカー事情にも詳しいんだから! すごいでしょ! というアピールを詰め込み過ぎて、むしろ今日の出来事はどうでもよく、ただなんでもかんでも自慢したいだけというのがどうしようもなくまるわかりになっている残念な内容のブログなり日記である。特にそういったパターンが多く見受けられるのが、「若い女の子のmixiの日記」だ。なんで若い女の子のmixiの日記をおまえが分析できるほど読み込んでいるんだということは聞くな。
もちろんオレこと坂口剛は人の書く日記に対して偉そうに文句を言える立場ではないが、文句ではなく、アドバイスとして言いたい。自慢をしたくても、そういう下手なやり方では、完全に逆効果なのだ。人は誰しも自分を良く見せたいし、他人より優れていると思いたいし人から褒められたいし認められたいのだけど、それを露骨にやってしまうと友達はいなくなるし、日記は読まれなくなるし、コメントを書き込んでくれる人もいなくなるし、むしろ敵が増えたりするのである。
ブログだけでなく人と話す時もそうだが、とにかくミエミエの自慢話ほどしょーもなくて格好悪いものは無いのだ。と中谷彰宏の本にも書いてあった。露骨に自慢をするというのはそれはつまり、自分で自分のいいところを語らない限り自分は他人からたいした存在だと思われないと自分で認めてしまっていることになるのではないだろうか。自分の長所は、自分で主張しないと人からは見つけてもらえないほどの小さいものだということを。せっかく自慢をしたいのに、あからさまな自慢をすることによって、「自分はたいした人間ではありません」ということを逆アピールする結果になってしまうのである。
でも自慢したいという気持ちは誰にでもあるし、オレだって人並み以上にある。オレだって数少ない長所を自分でアピールしないと到底人に認められる気がしないから。人として認められる気がしないから。それなら、日記でそれを示したい時にいったいどうするかというと、コツはこれしかない。とにかく、とことん控え目に書くことである。まさにこれしかない。たくさんのことを強く自慢したくても、そこをあえて自慢点をひとつに絞って、更に他の部分を「いやあ自分なんてダメダメですよ」という雰囲気の書き方にしてむしろ短所の方を率先してさらけ出し、その中にさらっとひとつだけの自慢を一瞬だけそれとなく混ぜるのである!
そもそも人は自分の短所を語れる人間や謙虚な人間に好感を持つものだし、弱い人間や悪い人間がたまに見せる強さや優しさというのは余計にインパクトがある。「子犬に優しくする不良」の理論だ。そういう読み手の心理を想定した巧妙な作戦を駆使してこそ、本当に人に「すごいなあ」と思わせる、当初の狙い通りである効果的な自慢が出来るのだ! それを最初から「私は仕事も出来るしこんなマニアックなことも知っているしいつでも子供目線になれるし友達も多いし有名人の知り合いだっているのよ!」みたいな自慢だらけ盛りだくさんにしてしまったら、こっちは失笑するだけじゃないか!!! すごいなあ、って素直に思うわけないだろ!!!
やはりギャップというのは重要なのだ。自分自身でギャップを演出するのはある程度の計算とテクニックが要求されるが、それを使いこなすことが出来ればイメージアップに非常に効果を発揮するのである。オレなんかその点は得意なので、普段旅行記で下痢になりまくっている姿とかウン○を漏らした話とか他人とコミュニケーションが取れない話とかを書きまくっているおかげで、たまに初対面の人と会ってちょっと話をするだけで、「意外と礼儀正しいんですね」と言われたり、「今日はウン○を漏らさなくて偉いですね」と褒められたりするのである!!
オレは、オレの書いた文章を読んだ人からは完全に変態だと思われているのだ。だから、いざその人と会った時に、普通の姿でいるだけで多少イメージが良くなることがあるのである。だって変態から普通の人へのギャップがあるから。一般的には普通の人が基準だから普通の人は普通の人にしか見られないけど、オレの場合は変態が基準だから普通でいるだけで印象が良くなるのだ。
でも、大抵は30分以上話していると化けの皮がはがれて順調に失望されてしまうんだけど……(涙)。
というようにここでも「30分で化けの皮がはがれる」なんて書いておくと、これを読んだ人には45分普通に話しているだけで「意外と喋れるんですね」と褒められる(?)のである。これも作戦なのだ。いつもオレは旅行記で子供が嫌いだと書いているけど、それも作戦なのだ。そういうイメージを作っておいて、実はオレが毎月孤児院に100万円ずつ寄付していることをみんなが知ったら余計に驚くだろう? まだ今はそれは公表しないけど。この事実は、もっとオレが子供嫌いだというイメージを強く世間に植えつけてから、発表しようと思う。一番ギャップが大きくなるタイミングで。昨日なんて、キャンプ場の川で溺れた子供を自分の命も顧みずに飛び込んで助けて、名前も告げずに去って来たんだけど、この事実だってオレが子供嫌いだというイメージがもっと日本中に知れ渡ってから明らかになったら、最も驚きを持って迎えられると思う。だから今はまだ書かないんだ。それこそが、壮大で緻密な作戦で行なわれる自慢話なのである。サンタクロースの正体が実はオレだということも、まだ今は書かない。オレが実はナイチンゲールの息子だということも、まだ今は書かない。彼女と結婚することになったということも、まだ今は書かない。
というか今回はそういうことを言いたかったんじゃなくて、たとえば今日なにがあったとかどんな場所で遊んで何を食べて誰と会ったというのは、基本的に有名人だけが書くものだと思ったのだ。だって一般人の今日の食事には誰も興味ないし。特にアイドルなんかが自分の写真入りで今日の献立や今日のお仕事状況や今日の出来事を書いていたら、そんなブログは見たくなるだろう。でもアイドルではないオレがブログを書くとしたら、果たして存在意義があるのか? ということを一時期考えて、それならばペットの写真を貼ったりしようと思ったのだ。なぜならば、自分のペット写真を貼るような親バカブログというのは、存在意義があると思うのだ。それは読む人のためではなく、自分のためだ。かわいいペットの記事を書いたり写真を載せたりするのは、自分が楽しいじゃないか。面白いのかよくわからない記事をいっぱしのブロガー気取りで義務的に書いて自分にも読む人にもあまり意味を成していないブログを作るなら、まだ自己満足だとしても少なくとも自分だけは楽しいものの方がいいじゃないか。そう考えて、タイトルを「どうぶつ日記」に変更したのである。どうぶつの画像を貼っていこうとして。でも、結局たいして飼い犬すなわちムクの写真も貼っていない。だって、あれは実家にいるから。今オレが住んでいるこの部屋にいる動物といったら、子グモとか子バエくらいなんだ。あと、最近やたら体がかゆくてたまらないので、ノミとかダニ。これは何十万匹もいると思うけど。そんな話を書いても楽しくない。
これは拾ったどうぶつ画像。どうぶつなのか、人間なのか、微妙。