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今日の動物:ウナギ

 腹がいっぱいだというのは罪な状況だと思う。だって、本当は美味しいものも美味しく感じなくなってしまうのだから。他のことも同じだ。たとえば月収100万円の人が1万円の小遣いをもらってもたいして嬉しくないだろうが、今のオレなら1万円のためならヌード写真を提供してもいい。1万円の存在はなによりも偉大だ。でも、オレだったらたとえ月収100万円もらっていても、やっぱり1万円でヌードになるかも。案外、キライじゃないの……。
 というのはウソ。ヌードは嫌い。全部脱がさない方がより興奮するのだから。
 というのはウソ。今回のテーマはウナギなので、ウナギについて「満腹が罪」な話を書きますと、そもそも本物のウナギは身分の関係上オレにはとても食べられないのだ。あれは人生に成功した人たちだけが食べられるものだからだ。しかし、たとえ本物のウナギが駄目でも、うなぎパイがオレは好きだ。浜松の名物、良質のバターをたっぷり使ったうなぎパイ。浜松に住んでいる頃はなんとも思っていなかったのに、たまに帰省してうなぎパイを食すると、この良質なパイをいつでも食べられるところに住んでいる浜松市民の方々はなんて幸せなんだろうと嫉妬せずにいられない。うらやみ、妬み、やっかみ、羨望、ひがみ、ジェラシー、そんな汚いものに心が侵されて浜松市民の悪口を匿名掲示板に書きこみたくなるくらいだ。久しぶりに浜松在住の高校の同級生と遊んだら、彼が奥さんも子供もいてしかも自分の家を建てていたということも、浜松に対する嫉妬のひとつの原因である。一時はクラスで隣の席だったのに、この距離感は一体なんなのか。「システムキッチンとか太陽発電とかいろいろ付けてるとどんどん値段が上がっちゃったんだよね~」というコメントを聞かされていたワンルームアパート在住のオレは一体誰なのか。高校の同級生だけど、本当は20歳くらい年齢差があったんじゃないだろうか?? オレだって、ずっと浜松に住んでいれば、今頃子供も出来て家くらい持っていただろう。
 間違えた。人生を間違えた。東京になんて来るんじゃなかった。

 うなぎから少し話が逸れたが、しばらく前に実家に帰ったのだけど、東京に戻る時、昼ご飯を腹いっぱい食べてから出発したのがケアレスミスだった。いつも浜松に帰る時は必ずお土産にうなぎパイをたくさん買って帰る(お土産と言っても誰にもあげないで全部自分で食べるよ)のだが、皆さんご存知のようにお腹がいっぱいの時というのは、食べ物が目の前にあっても欲しくない。だから、オレは浜松駅前の春華堂に入ろうとしたその時、いっぱいのお腹に毒されそそのかされてつい「まあ今回はうなぎパイを買わなくてもいいか」と思ってしまったのだ!
 ところで、地元にいるときは別に好きではなかったのに今はうなぎパイが大好きだというのは、つまり当たり前だと思っていることがそこから離れるとどれだけありがたいものかということが良くわかるというそういうことだ。離れてみて初めて好きになるという現象は、決してうなぎパイに限ったものではない。うなぎパイだけでなく、ナッツ入りうなぎパイとか、うなぎパイV.S.O.Pにも言えることである。ほかにも男女の仲でも言えることだと思う。だから、彼氏や彼女や結婚相手をそんなにめちゃめちゃ好きではないと思ったら、別れてみるといい。みんなどんどん別れて欲しい。特にかわいい女の子はどんどん別れて欲しい。日本中のかわいい女の子はすぐさま彼氏と別れて欲しい。とにかくかわいい女の子は今すぐ別れて欲しい。……あっ、あなたは特に別れる必要ありませんから。いや、そういう意味じゃなくて、僕はあなたの幸せを心から願っているということですよ!!!

 とにかくオレはうなぎパイを買わずに東海道線に乗ってしまった。東海道新幹線ではなく、東海道本線だ。予算の関係上新幹線は使えません……。
 そして! 掛川あたりまでは、まだ満腹状態が続くので問題なかった。ところがこれが沼津、静岡、清水と進み少しずつ胃の内容物が消化され腹具合に余裕が出て来ると、うなぎパイを買わなかったことを、どんどん後悔し出す自分に気付くだ! 県境に近づくと、海が見える。今では、もううなぎパイを想像するだけで、よだれが出て来る。確実に食べたい。もう今はものすごく食べたい。どうしてうなぎパイを買わなかったんだオレは!! あんなに近くにいたのに! 手を伸ばせば届く存在だったのに!! 馬鹿野郎!! 
 静岡県は東西に広く、鈍行列車で移動している身にとっては静岡から浜松まで戻ることは無理な話だ。不可能と言ってよいだろう。なにしろ鈍行だと、静岡浜松の距離というのは東京大阪間に匹敵するくらいの壮大なものなのだ。しかもうなぎパイのために戻るなんてまるでオレがよっぽどのうなぎパイ好きみたいじゃないか。
 だがそうは言ってもオレがうなぎパイを愛しているという事実は誰にも邪魔されてはいけないものだし、この気持ちを隠すことなんて出来ない!! だから、オレは乗り換えの熱海駅で一度改札から出て、駅前の土産物屋を何軒もはしごして、うなぎパイを探したのだ。春華堂直営店じゃないからワレモノの詰まったお得用パッケージは売っていないけど、個別包装のお土産スタイルうなぎパイくらいあるはずだ! だって同じ静岡県なのだから!!

 慣れない熱海の地で一人歩をすすめ、一生懸命聞き込みを繰り返して探したところ、うなぎパイはなかったけれど、代わりにうないっぱいを発見した!

Ippai

 このうないっぱいは、うなぎパイそっくりな外見なのに、うなぎパイと比べて格段に割安なお得感あふれる逸品である。これは買わない手はない。だいたい同じじゃないか。うなぎパイとうないっぱいだから、ほとんど同じだよ。ということでうないっぱいを購入し喜び勇んで再び熱海の改札から駅に入り東京に帰って来た。
 うなぎパイにあうのはなんといっても牛乳なので(個人の感想です)、スーパーで忘れずに牛乳を買い、部屋に戻るや否やコップになみなみと牛乳を注ぎそしてうないっぱいの包装をピリリと裂いて取り出して食べた。
 そしたら、うなぎパイとは似ているような気もするけどオレが食べたかった味とは違った。うなぎパイとは、全然違った(号泣)(個人の感想です)。これは違う……。これが食べたかったんじゃないオレは(号泣)!!!
 どうしてだろう。浜松駅前でチョイと勢いをつけていつも通りうなぎパイを買ってくれば、こんな途中下車の東奔西走してうないっぱいを見つけて食べて微妙な悲しい気持ちになることなんてなかったのに、なんであそこでオレは浜松駅前の春華堂に入ってうなぎパイを買うくらいの少しの労力を惜しんだんだろう。
 これも全て腹がいっぱいだったせいだ。あの時に空腹だったら、間違いなくパイを抱きしめていたはずだ。満腹の罪深さをこれほど味わったことは無い。だから腹八分目というのは大事なんだな。
 おかげでオレは、もうその前の帰省から1年以上うなぎパイを食べられていない。浜松出身だというのにうなぎパイを1年も食べないなんて、こんなに残念なことがあるだろうか? うないっぱいしか食べていないのだ。熱海出身の人ならうないっぱいを食べればいいさ。そして満足すればいいさ。でもオレは故郷を出て何年たっても浜松への愛を決して忘れないのさ。片思いだけど(涙)。だから、うなぎパイが食べたい。で~も~食べ~たい~食べたく~て仕方~ない~♪(郷ひろみ)
 うなぎパイ禁断症状が出つつあります。うなぎパイが。うなぎパイが食べたい! おっぱいバレーよりうなぎパイバレーが観たい(涙)!

 なぜかオレを恨んでいるかのようなムク

Muku

和解しました

 しかし何だかんだ言っても憎しみはさらなる憎しみしか生まないのです。同じ家で、同じ両親の元で暮らす我々は言ってみれば兄弟のやふなものではありませんか。僕が兄で、ムクが弟のやふなものなのです。だからこそ弟が兄の言ふことを聞くのはあたりまえですが、とりあえずこのよふに和解いたしました。

その後

 それからというもの、ムクとは敵対関係になり毎日このように闘争を繰り広げるのであった。

怒れるムク3

 またまた戻って来たので、結局ちょっかいを出して欲しいんだろうこの犬め? ということで望み通りちょっかい出してやったら本気で噛みやがった。

怒れるムクに

 しばらくしたら戻って来たのでまたちょっかいを出してみた。非常に攻撃的で可愛くない態度だ。主人を尊敬してないな。

怒れるムク

 何か小さなおもちゃのようなものを与えられて、解体して遊んでいるムク。そしてちょっかいを出そうとすると偉そうに唸りやがる。これは許せん!

ウソをつきます

 今日は4月1日ということで、各方面のホームページやブログや日記を見るとどこもかしもエイプリルフールネタばかりである。なのでここはひとつオレも便乗してウソをつこうと思う。
 しかし、「今からウソをつきます」とあらかじめ宣言してからウソをつくというのは、かなり難易度が高いことだ。ウソをつきますと言った以上もう相手はこっちのウソを警戒してしまい、その後はこちらが何を言っても全て「ウソじゃないか?」と疑ってかかることになるだろう。エイプリルフールにわざわざネット上に公開してつくウソなんていうのは、ウソだとすぐにわかるウソではいけないわけで、多少なりとも相手にそのウソを「もしかして本当?」と信じさせなければならないというのがルールじゃないか。例えば「今からウソをつきます」と言ってから「僕は宇宙人で~す」などと誰もが本当だと思わないことを言っても仕方がないし、「今日うちに泥棒が入ってお金を盗まれちゃいました」と言っても、その前に「今からウソをつきます」と宣言してしまっているからには「泥棒が入った」という話がウソだというのはすぐにみんなわかってしまう。
 繰り返すが、たとえ少しでもいいから誰かに「えっ、ひょっとしてそれって本当のこと?」と思わせないとウソをつく意味はないのだが、しかし先に「今からウソをつきます」と言ってしまうとその後にどんな上手いウソをついてもそれを本気にする奴はいなくなるので、「今からウソをつきます」と言ってからウソをつくと言うのはとにかく難しく難解で困難、至難の業(難×4)なのである。
 だが、そこであっさり諦めてしまうことは出来ないのだ。これでもオレは一応駆け出しの作家、文章を書くプロを目指す立場なのである。いくら難しいこととはいえ、普通の人が出来ないことをやる、それこそがプロなのだ。あの怪盗ルパンだって犯行の前には必ず予告状を送り、逢えて難易度を上げてから美術品やダイヤを盗むという芸術的な犯罪テクニックを見せているではないか。同じようにここでオレが「今からウソをつきます」と予告してから、読んでいる人を少しでも「えっ」と思わせるような容易には予測出来ないウソをつくことができたならば、それはオレもルパンに匹敵するようなプロのテクニックを見せたということになる。そして、自慢ではないが、オレは自分にはその才能があるような気がする。もう何年もホームページで、本の原稿で、常識外れの文章を書き続けているのだ。たとえ事前に予告していたとしても、周囲の心の準備のさらに上を行く、一般人の想像を超えたウソをうまく考え出すことが出来るのではないか! 今のオレは、もうそのくらいの技術は持っているのではなかろうか!
 こうなったら、それを確かめるためにもオレは本気で今からウソをつこうと思う。いいかみんな、最初から疑っていくんだぞ。今からウソをつくからな。でもオレは、そんなみんなの疑いなんてものともしない、見事なウソであんたらの度肝をぬいてやるからな!! 覚悟しろよ! ウソをつくぞ!!! というのはウッソーン。

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