めざせ!山口小夜子!
山口小夜子さんとは、1度しか会ったことが無いがなにげにメールのやり取りは足掛け3年以上行っていた。といってもしばしばといった程度の頻度ではあったが。
思うことがいろいろありすぎて書いたり消したりしていたが、やはり、思うことはあまり書かない。ただ、ちょっとだけ書く。小夜子さんの仕事仲間や友人は無数にいるし、その人たちは小夜子さんのことをオレの1億倍くらいとーってもよく知っているのだが、よく考えたら個人的にホームページなどを作る暇があってボケーっとブログなんか書いているのはオレくらいだろうから、個人的な感想で申し訳ないけれども思ったことで書いた方がいいと感じた部分だけを少し書く。
昨日の朝、テレビ朝日のニュースで徹子の部屋に出ている小夜子さんの映像が流れていて、この世のものとは思えないキレイさになんじゃこりゃーーーーーーっ!!!! と思わず叫んだ。
人の昔の姿を見て叫んだのは、細木数子以来である。細木数子も昔の写真を見ると常軌を逸した美しさで、なんじゃこりゃーーーーーーーーっ!!!! と叫んだ記憶がある。キレイさで叫ばされたのは小夜子さんが2人目だ。
しかし、ご存知の通り、細木数子の今はあんな感じである。ところが、小夜子さんの場合はなんの神のいたずらか、基本的に当時からあまり変わっていないのである!!
お会いしたのは去年の5月であった。オレが生まれる前からスーパーモデルとして活躍しており、そうするとどう考えてもオレの母親くらいの年齢であり、事実50代ということなのだが、……。こんな50代がいるか~~~~~~っっっっ!!!! とまたまた心の中で叫ぶくらい、服装もたたずまいもほとんどイリュージョニストであった。
もちろん単純な顔、体型の若さというのはあるが、あの常時茶道や着付け教室にでもいるかのような、ピーン!という効果音が聞こえてくるかのごとき姿勢の整い方。動きの素早さ。歩く姿や、立ったり座ったり話したりしている時の動作、パッと振り向く時にあの長い髪がブァサッ!とはためくスピードは、どう考えても20代の動きであった。姿勢という点では、オレと小夜子さんの年齢は完全に逆だ。もともと背が高い上に、多分30年後もこの背筋の伸び方をキープしているのではないかと予想できるほど、まっっっっっっっっっっったく年齢を感じさせない姿勢の良さであった。姿勢が良いというか、動きが美しいという言い方かな。
さらに、小夜子さんの場合はその中身、好奇心とチャレンジ精神みたいなのが20代というよりほとんど10代だった。だいたい、そもそも最初はオレのエロ変態丸出し、同世代以外全く意味がわからないオタクネタ満載の旅行記を読んでわざわざメールをしてくれたわけだが、普通、有名人が20歳以上年下の素人のホームページの個人的な文章を読んで素性を隠してメールするか??? 足掛け3年小夜子さんとメールしていると言ったが、そのうち1年半はオレは小夜子さんのことを誰だか知らずにやり取りをしていたのである。誰だと思っていたかというと、普通のおばさんだと思っていた。いろんな意味で失礼な奴だな……。
もしオレが小夜子さんの立場だったら、ド素人の若造にメールを出すとしたら「どうも。モデルの山口小夜子っていいます。キミの旅行記たまたま見かけたんだけどさあ、」ときっちり上からの物言いをするであろう。それだけで相手は「ハハーッ!」と土下座をするにきまっているのだ。それが本物の小夜子さんは、あくまで対等な書き方、というかそもそもお互いに本名を名乗らずmixiのハンドルネームのままで1年以上メッセージの交換をしていたのである。
旅の間ハンドルネームでやり取りをしていて、1年半くらい経ってそこで初めてこちらからマイミク申請をしてそのおばさん(だと思っていた人)のmixiの日記を見たら、本名「山口小夜子」が書いてあったので、早速「山口小夜子」でググったところ、「ニューズウィークに『世界の6人のトップモデル』に選ばれ……」とか書いてあって、オレは「うっそー……」と思わずパソコンの前で固まったものだ。そしてそれからオレのメールの言葉遣いはいきなり丁重になったものだ(最低な野郎だ)。
おばさんというのはプロフィール写真を見てなんとなく年上っぽかったからそう思っていたのだが(これまたなんと失礼な)、しかし小夜子さんのメールの文体は、もしかしたらガキのオレを相手にしている時だけだったかもしれないが、これがもう完全に10代の文体であった。このヘン、昨日の朝のテレビ朝日のニュースでは、「山口小夜子さんはプライベートでもほとんど笑うことのない、モデルの自分(独特の雰囲気)というものを確立していた人」みたいなことを言っていたのだが、最近の小夜子さんしか知らない(ほとんどメールでしか知らないけど)身にとっては、オンオフの切り替えが自由自在でオフの時は下手したら女子高生くらいのかわいさと若さを感じる、そんな人だった。メールの少女風文体もそうだったし、お話をさせていただいた時も笑わないどころか普通に爆笑していた。
その時小夜子さんが言っていたことで印象深いのは、たしかオレが旅先の不潔な環境について話していた時だと思うが、「私もゴミとか埃とか汚いものとか大嫌いだけど、撮影が始まってカメラを向けられるとどんな汚い場所も自分の体の一部のようにとらえることが出来て、不思議なことにそこに寝転ぶことだって平気で出来ちゃうのよね」というような、各単語具体的な言葉はうろ覚えだがそんなことを仰っていた。うーん、これが世界に名を轟かせる人のプロ意識か……とその時は緊張して冷静にそんなことは思えなかったが後から家に帰ってその言葉を思い出して唸った。プロの役者さんなんかと同じですね。
ちなみにこれはネット上で見つけたものだが、小夜子さんが講演で仰ったことにその若さをキープするイリュージョンの秘密というか、こういうことを考えている人だから小夜子さんなのか……とまた唸らされる、そういう、まあとにかくこんなことが書かれていた。
『講師の山口小夜子氏から、「美しさは、外見や技術でなく、その人の内面からにじみ出るもので、日々の生活の中から生まれる。」、「心や思いを大切に日々歩んでいくと、自然に背筋も伸びるかもしれない、相手に対する優しい笑顔も生まれるかもしれない、挨拶するときのお辞儀の仕方が丁寧になるかもしれない、自然に体から有難うという気持ちが生まれるかもしれない。それが、本当の美しさだと思う。」と話がありました。』
……どうだ。単なる化粧やエステや整形ではなく、もっと大きなヒントが述べられていないだろうか。
おお、なんだか結局たくさん書いてしまったなあ……。
とはいえこれでも最初いろいろ書こうと思ったことのちょろっとしたところだけ書いてみただけなのだけれど、結局小夜子さんは生涯現役だったわけで、本当に最後の最後まで精力的に仕事を続けて、モデル・パフォーマーとして現役でありながら亡くなったわけだから、その点では、「あの山口小夜子」のままでテレビを消すように人生を終えた小夜子さんはたいへん格好いいし、無念という言葉とは遠いところにいると思う。
山口小夜子さんの人生のような、外見は無理でも内面からにじみ出るような美しさ、生涯現役の美しさを、目指そうではありませんか。意識さえ変えれば、きっと誰でも山口小夜子になれるのです。
ちなみに小夜子さんの言葉、コメントは蒙古斑革命最終回+過去ログで多く語られています。
さらにちなみに、先日「吉祥天女」という映画を観に行きましたが、鈴木杏が演じていた主役の小夜子は、原作のコミックでは山口小夜子さんをもろにモデルにしているらしいです。さっそく注文だ。