時は全てを変えてしまうのか
松岡農相の自殺のせいで坂井泉水の死亡ニュースが削られるのは納得がいかない。長年に渡って恋する男たちの心を癒し続けてきた、いや、恋しない男も男性も女性もある程度の大人ならば何度となくZARDの歌に元気づけられることがあったはず。多くの人々の心を清らかにし励ます曲を作り歌った坂井泉水。本来、今日明日のワイドショー、報道はZARDのニュース一色であってしかるべきなのだ。よりによって、なぜ松岡農相は今日首を吊ったのだろうか。それは午後に「緑資源機構の官製談合事件」というなんだかよくない事柄について国会で追及を受けることが予想されたから、とテレビで言っていたので多分そうなのだろう。
しかしひょっとして松岡さんもZARDにならったということはないだろうか。もしオレが死のうかどうしようか、少しでも死のうと思っていて、そしてある日の朝坂井泉水が自殺を疑われるような不自然な形で亡くなったのを知ったら、よし、坂井泉水が死んだならオレも死のう、とふんぎりがつくような気がする。そうすれば坂井泉水に近づけそうだから。
好きな人にとっては、坂井泉水というのは慰めてくれて、汚れていなくて、美しくて、懐かしくて、心の故郷と言っても過言ではない存在なんだ。特に、20代後半から30代前半。特に男子。特に学生時代辛い失恋を体験した人間。それはオレか……。朝、「坂井泉水転落死」の文字を見た時の衝撃。知り合いでない人が死んだということにこんなにズガガガガガガガガガガガガ~~~~~~~~~~~~~~~ン!!!!!! と激しくショックを受けたことは無い。
思えば人生で初めて買ったCDアルバムというものが、ZARDの「揺れる思い」であった。旅行記のどこかで書いたが、これも生まれて初めて女の子に告白したのが高校3年の時であったのだが(遅い?)、「つきあってくれん?」と心臓が喋っているかのごとく震えて細く発した先輩の命がけの言葉に、無邪気なフカポン(後輩の女の子のあだ名なのです)は「どこへ?」と答えてくれたものだった。
その日はクラスメートが計画を立ててくれてね……。何人かでボーリングに行って、男女ペアでチームを組もうなんて話になって、オレとその娘がペアになるようにみんなで仕込んでくれて……。帰りも2人っきりになるようにしてくれてね。並んで自転車を漕ぎながら、前々から練っていた「帰り道ではこれこれこういうことを話して、別れ際に勇気を出して告白する」という作戦をずっと頭の中で確認しながら、そして徐々に実行しながら、まあそんなこんなで、お決まりのパターンだっ!!!! 「考えさせてください」と言われて、しばらく立っても返事が無くて、仕方ないから1週間くらい後にこっちから電話して、当時は携帯なんかないからいきなり家に電話してお母さんが出て、「○○さんいますか」ってマヌケに娘さんを呼び出して、
思い出すことにより精神に与えるダメージがあまりにも大きくなることが予想されるため、このあたりで思い出話は終了させていただきます。
結局「今好きな人がいるので……」ってフられたんだよっ!!!!
そんな時にですね。何度繰り返しZARDの曲を聴いたか。そりゃあ、坂井泉水は東京のどこかにいる有名人で、負けないでとか、キミと歩き続けたいとか、彼女が歌っている時にオレの存在など1細胞たりとも認知していないに決まっているけど、しかしそうだとしても「きっと坂井さんのようにオレを思ってくれる人がどこかにいるんだ」とZARDの曲を聴くたびに慰めの妄想をして涙とともに悲しみを少しずつ少しずつ流していったのだ。坂井泉水さん、情けない軟弱で惨めな高校生を救ってくれてありがとう。しかし、それからまた、何年も時は過ぎた。
http://www.youtube.com/watch?v=vGpbXLEL3y8&mode=related&search=
坂井泉水さんが40歳になっていたということを知って、子供は大人になり、大人は年老いていくものだということを、そして若いと思っていた自分の世代がずっと若い世代のままではないという現実を突きつけられたような気がする。高校生の頃の自分と今の自分がどこが変わっているのか全くわからない、わからないというより変わっていないのだが、内面は成長しなくても実際に年齢は重なり高校生だったオレも二十歳になり30になっているのだ。坂井泉水が40歳になっていたように。
病院のスロープの、手すりを乗り越えた跡が残っていたという報道もあり、また、手すり自体が1m20cmと、女性の胸の高さということでただ雨で滑って転落したというのはあまり考えられないと、オレも思う。
坂井さん自身もまた、汚れていなくて美しくて懐かしい自分が年齢とともに変わっていくのが怖かったのではないだろうか。自分の生きていたことを輝かせるために死に際を自分で決めるというのは、とても正しくて勇気がいることだと思う。人間というのはずるずるずるずると楽な現状を引きずってしまうものだ。だらだらと生きてしまうものだ。坂井泉水に癌との闘病なんて似合わない。将来、「あーあ、もう坂井泉水もおばちゃんになっちゃったなあ。昔彼女の曲好きだったのになあ」と思うことがもう絶対になく、未来永劫永久にZARDの曲を好きでいられるように、これでなった。そう考えてみれば、彼女自身にとっても、ZARDを愛する数多くのファンにとっても、ZARDがZARDであり続け坂井泉水とその歌が美しくあり続けるための、最も良い形の終わりになったのではないだろうか。
負けないでと歌いながらガンとの闘いに負けたのではないかと言われていたりするが、彼女には今日というゴールがあって、そのゴールの直前の直前まで、入院生活の中でも作詞をしたり次のライブの打ち合わせをこなしたり、まさに彼女の詞の通り、負けないで最後まで走り抜けたのである。いやー、作詞をしたりとかってただニュースで言ってたことそのまま書いてるだけなんだけどね……。別に見たわけじゃないんだけど。でもきっとそうなのだ。そのはずだ。だって坂井泉水なのだから。
彼女はオレがファンになった頃には全然テレビに出ていなかったんで、CDの歌詞カードを見るのがほぼ唯一の坂井泉水の姿を知る方法であった。ZARDのアルバムを買うというのは、そういう「坂井泉水ミニ写真集」的な歌詞カードを手に入れるという楽しみも含んでいた。だいたいどれも横顔で(一番キレイに見える角度なのだろう)、それはもう神聖な、霞むような美しさであった。レースクイーン時代の水着写真集が超高額プレミアつきで売られているのを知った時はこれまた衝撃的だったなあ。欲しかった……。本当に様々な方面から楽しみを与えてくれたのがZARDの坂井泉水だった。ZARD以上に好きになる歌手は、過去も未来も現われることはないだろう。そもそも学生時代に愛した曲よりも印象を残す歌に大人になってから出会うことなんて、あり得ないと思う。ZARDがテレビに出ず、メンバーがいるのかいないのか正体不明なものだから、「言ってなかったけど、実はオレZARDのメンバーなんだぜ」とカミングアウトするギャグもよく使ったなあ。
彼女は美しく死んでいったけど、やっぱり悲しいものは悲しい。時が経ってしまったことが悲しい。テレビを見ていてふと「おっ、この曲ZARDだな?」と新曲に出会うことが無くなってしまったのが悲しい。さらに、悪いけど松岡さんの自殺のせいで坂井泉水の死がニュースを独占できていないのも悲しい。坂井さんはなんにも悪いことをしていないのに。運命というのは、とにかく不公平である。ZARDフォーエバー!! ZARD! ZARD!!
坂井さん、生きている物ってどんな食べ物ですか……。